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2人の女性 サンドラとジェニー『サンドラの週末』『午後8時の訪問者』

どうもこんにちは。映画チア部の井上です。

昨日に引き続きダルデンヌ兄弟の2つの近年作品を紹介していきたいと思います。

サンドラの週末(2014)

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体調不良からしばらく休職していたサンドラは、ようやく復職できることになったある金曜日、突然解雇を言い渡される。しかし、同僚のはからいで週明けの月曜日に16 人の同僚たちによる投票を行い、ボーナスを諦めてサンドラを選ぶ者が過半数を超えれば仕事を続けられることになる。ともに働く仲間をとるか、ボーナスを取るか。その週末、サンドラは家族に支えられながら、同僚たちを説得して回る……

(『サンドラの週末』公式サイトより抜粋)

映画を見ているとわかるのですが、サンドラの体調不良とは、体の病気ではなく、心の病です。そのため、夫に支えられながら同僚の家をたずね回っている彼女は終始泣いています。もう嫌だと何度も弱音も吐いています。だけど諦めることだけは絶対にない。

もちろん同僚たちにもそれぞれ家族がいたり、生活があるので全員が全員、サンドラの気持ちを組んであげられるわけではありません。彼女に対して苦しい意見や言葉を口にする人もいます。

その中で「会社で自分の意見を言えなくてごめん。ずっと後悔していた。今日君に会えてよかった」と声をかけてくれる同僚がいます。写真の彼ですね。

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私はこの頃いろいろあって引きこもってちょうど1年ほど経っていて、社会復帰の第一歩として自動車学校に通っていたんですが、まさにサンドラと同じ状態。学校のたった1時間の講習が苦痛で苦痛でたまらなくて毎日泣きながら通ってました。送迎バスのおじさんが毎回とても気まずそうだったのに、いっぱいいっぱいでかまってられなかった。ごめんなさい…(笑)

でも教習所に通うと決めたのも自分で、誰かに強制されたものではありませんでした。辞めようと思えばいつでも辞められた。でも辞めなかった。どこかで辞めたら自分に負けて、今度こそ何もできなくなる=死ぬしかないと思っていたのかもしれません。(この頃は鬱気味で思考が極端だったので)

サンドラが交渉を諦めないのもそのためです。

外に出るということは、嫌なものや苦手なものと関わり傷つくということ。でもだからこそ、人生のほんの一瞬の何気ないこの言葉が彼女のこれからを支えるものになる。彼女が自身の力で、真に勝ちとったもの。

5年前に1度だけ見た、このシーンの空の広さがかなり印象的でずっと覚えています。スクリーンの大きさは変わってないのに不思議。そもそも空が写ってたかも今となっては曖昧ですが。私には目の前いっぱいに広がる空が見えました。

午後8時の訪問者(2016)

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若き女医ジェニー。今は知人の老医者の代わりに小さな診療所を診ている。今度、勤める病院から歓迎パーティーの連絡電話を受けているときに鳴ったドアベル。しかし、時間は午後8時過ぎ、診療時間はとっくに過ぎていた。翌日、警察がやってきて、診療所の近くで身元不明の少女の遺体が見つかったと聞く。午後8時過ぎにドアホンを押している姿が監視カメラに収められた少女こそ、遺体となって発見された少女だった。ジェニーは罪悪感から少女の顔写真を携帯のカメラに残し、時間を見つけては少女の名前を聞いてまわる………

(『午後8時の訪問者』公式サイトより抜粋)

ジェニーは前作の終始わんわん泣いてるサンドラとは真逆の性格の主人公です。賢くて逞しくて有能で無欲で優しい。でもきちんと(?)失敗できるしグラグラ悩める。ずるさがひとつもない、理想の町医者。

こういう人間って世の中にどのくらいいるんでしょうか。もしかして大多数がそうなのかな。自分とは遠い場所にいるひとだと感じてしまって、どこにどうよりどころを持ってっていいのか、なんとなく分かりませんでした。タバコふかしてるシーンで抱えてるストレスを相殺してるんだよ、と一緒に見ていた人に言われたけどそれだけで気が済むんだ…!?とそこが一番理解できないびっくりポイント(笑)

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ただこの映画を見て思ったのは、いわゆる強い人ほど孤独かもしれないということです。世の中には相手の弱さから人間的な部分を見出して、親しみを覚える人の方が圧倒的に多い。だからこそ周囲から理解を得られないジェニーのような人は、誰かに尽くそうと素直に思えるのかもしれない。"かもしれない"だらけですね。いや、だって分からないんですよ…。

私はうまくやれない人を信用してしまいがちですが、うまくやれるから信用に値しないわけじゃないということをいい加減学ばないといけない気がします。
生きていく力も苦しみも、一概に数値化して計れるものじゃない。

他者の気持ちは完全には理解できない

サンドラとジェニーは正反対の立場の女性たちです。誰かに支えてもらう側の人間と、誰かを支える側の人間。世の中はその時々、いろんな場所で区分されていて、根底にある分かり合えることのない部分がどうも邪魔をする。人を孤独にする。

ダルデンヌ兄弟作品を見てきて感じるのは、立場や能力は違っても、それぞれがぞれぞれの困難を持っているということです。

強いジェニーが戦うのはひとりだし、泣いてばかりのサンドラにはどれだけ倒れそうになっても側に夫がいる。同じサイドに立つ2人ではない。

だけど、自分との戦いに負けたくないのはどちらも同じ。あまりにも些細で静かで、誰にも気づかれないような自分自身との戦い。

困難に立ち向かう姿に優劣はない。そう感じるものがありました。

普通に生活していると想像できない他者の苦しみや孤独を、救い上げようと思えるきっかけが映画に作れるんですよ。こんなに誰かと分かり合えているのかもと思える瞬間はないかもしれません。

映画チア部 井上

引用・参考




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