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他に類を見ない枯れ果てた激情『シュトロツェクの不思議な旅』

ほとんど誰も観れないだろうと思い紹介するつもりもなかった超絶大傑作が、UPLINK CLOUDに…UPLINKすごすぎる…

配信・レンタル

UPLINK CLOUD

概要

出所後の男、元娼婦、老夫3人組が成功を夢見てドイツからアメリカへ行った顛末を淡々と映す。無駄な演出を徹底的に省き、乾ききった画面は一切の感傷を排して狂気的な世界を「ひどい滑稽さ」と共に凄絶に炙り出す。
ジョイ・ディヴィジョンのイアン・カーティスが自殺する直前にこれを観ていたという。

ここが良かった

・全て
ラストシーンは、自分の観た全ての映画のラストシーンの中で1番を争うほどに好き。

こんな人におすすめ

全人類必見

雑感

自分は当時ヘルツォークの映画はまだあまり観ていませんでした(今もあんまりですけど)。しかし数少ないながら観た彼の映画にヒシヒシと感じたのは、心底嘘がない、ということです。

この映画は、圧巻の孤独を「ただ、映す」ことに徹底する。この乾き切った感情の正体は、失われた人々への怒りと考えてよいのでしょうか。
この映画に出てくる3人は、成功を夢見てアメリカへぶっ飛ぶのですが、まあとりあえず全くうまくいきません。アメリカに行く前からなんともいえず哀れで仕方がないんですが、同時に我々は一切彼らに手を差し伸べることを許されない。
というのも、睨み合いを効かせてばかりの理想をかけ離れたアメリカは、劇中で”檻のよう”と形容されます。
その中の彼らをスクリーン越しに観るのなら、我々にとって彼らは、何か極悪の囚人にだって見えてしまうはずなのです。
そして、その彼らを、笑えるはずもないのに、ユーモアと形容してしまうような「ひどい滑稽さ」を伴って映すところがとんでもなくて、この映画の壮絶な表現に拍車をかけています。
彼らは実際ちょっとやばい人に見えて、そんな彼らをこんなに感傷なく映すのに、コメディを入れるっていうのが本当にやば過ぎる…


この映画に流れる印象的なオルゴールの曲はいずれもベートーヴェンの音楽です。
ベートーヴェンの音楽の最高の魅力は、肯定にあると思っています。正に彼自身の言葉を借りて、「苦悩を通して歓喜へ至れ」です。
貴方がもしベートーヴェンの『運命』を第一楽章しか聞いたことがなく、かついつもコボちゃんを1コマ目だけ読んで終わる狂人でなければ今すぐに運命を第四楽章まで、全て聞いてみてください。終楽章に轟く巨躯なる歓喜を知らずして生きるのは、あまりオススメしません。 YouTubeでテキトーにカラヤンのものでも。

この映画の初っ端にベートーヴェンのピアノソナタ31番の終楽章の『嘆きの歌』が流れます。その名の通りものすごく苦しい一節なのですが、これを含めてドイツにいる間この曲が2回流れるのですが、『嘆きの歌』以降を決して聴かせてはくれません。
ピアノソナタ30,31,32番は作品番号が109,110,111と連続しているとても密接な作品群で後期三大ソナタと呼ばれています。十中八九彼が死の手をも意識したそれらの曲は望外の境地へ向かっていきます(自分は32番がこの世に存在するあらゆる音楽で最も好きです。)。
この31番では『嘆きの歌』の後、実際はフーガが螺旋を描いて上昇し、果てにはそれを放棄して天へと突っ切って行きます。全てを振り払ったような、強烈な天を描きます。
しかしヘルツォークは当然のようにそれを聞かせてはくれない。『嘆きの歌』と、飾り気のない乾いた画だけが映画を支配する。
アメリカに到着して流れるのはピアノソナタ26番『告別』の第二楽章『不在』。ペットの九官鳥は没収されるのに、第三楽章『再会』などを聞かせる気はさらさらない。そんな救いなんて描きはしません。
また演奏のシーンでは14番『月光』と、自分は名は知らない練習曲しかわからなかったのですが、歪んで聞こえる調律に嫌悪を感じました。
歪んで見える人々に対してはどうなのでしょうか。我々は嫌悪を隠さずにいられるのでしょうか。

主人公ブルーノ、俳優と同じ名前です(メインの3人は皆同じ名)。彼は音楽を愛しています。そして正直下手くそです。

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競売に参加する主人公ブルーノ

しかし、その演奏には強く何かを感じます。その音が歪んでいても、何かを。
彼は出所して喋って早々、確実に社会に適合できないやばい奴だな〜と分かります。酒を飲まないと言って結局飲む。一人で生きられるなら勝手にしろと女に言いながら、本当に勝手にされれば困る。そんな人間。
彼は、おかしな人間でしょうか?彼は、世界に生き方を強いられているのでしょうか。
ブルーノの俳優は同監督の『カスパー・ハウザーの謎』(1974)にも出演していました。
その中で、本流の人々が天上の思い上がりで汚し切った主人公を演じた俳優をもう一度起用したのは、いい仕事ができたから、とかどころでない意図が当然あるでしょう。
人間の傑作ことマルタ・アルゲリッチが才能を全て奪われたってツラしたエーファや、ルービンシュタインが才能を全て奪われたってツラしたジイさんも、滑稽さを併せて言えば「なんだか哀れ」な人達ですが、ブルーノの纏う突出した雰囲気、哀しみは俳優の持つ意味が多大に寄与しています。


あるシーンでブルーノがした無垢な質問に対して、医者が投げかけた「君の質問に全て答えられるなら、この世はずっと住み良いものだろう。」というセリフに背筋が張る。
医者の指にしがみつきぶら下がる未熟児の驚異的な力を眺めるブルーノ。
嬰児は愛される。では彼は?
勿論彼だって指を掴めるが、重すぎて支えることはできないでしょう。
この一連のシーンはラストを除いた中では際立って突き刺さるシーンでした。


そして彼は、出所して「回らない」と言ったのに、結局どう足掻いても何度も回り、最後まで回らされる。こんな世でこんな人間は、回らされるしかない。
ラストに至るまで、「滑稽だろ。ブラックジョークだ。笑えよ。」という具合で、ヘルツォークから悲しさを延々と提示される。

ラストシーン、ヘルツォークが他の映画でもよくやるように、またも車を回しています。円というループ、循環はヘルツォークが良く提示するモチーフですね。
また回り続けるリフトの循環。目に飛び込むIS THIS REALLY ME!の字。
そして25セントのために滑稽なショウの循環に放り込まれた動物たち。動物たちは金のためにショウにして諧謔のもとごまかし続けさせられる。それができない人々はどうなるのか。
画面は乾いたままながら、ループする安い音楽が鳴り響く。滑稽さと同時に途轍もなく狂気的な世界を炙り出し、内包する意味において今にも破裂しそうに、恐ろしく壮絶にエンディングを迎える。
原因の修正、或いは完膚なき破壊以外にこの世界の地獄の循環を止めることはできない。だがリフトを直すことができる電気技師がいても、世界を直すことができる世界技師など聞いたことがない。ヘルツォークが提示した世界に頭を割られる。


ブルーノ・Sはシュトロツェクにもカスパー・ハウザーにもオーバーラップする壮絶な生い立ちから老いて心不全で死んだのをあとになって知って、なんか無性に泣けました。

(コードー)


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