『昨夜、あなたが微笑んでいた』 カンボジアの若き監督が淡々と収めた生家の収奪


『昨夜、あなたが微笑んでいた』は、ニアン・カヴィッチ監督が、カンボジアはホワイト・ビルディングが日本の企業に買収されその取り壊しを前にした最後の時を撮ったドキュメンタリー映画で、東京フィルメックス2019において学生審査員賞、スペシャル・メンションを獲得しました。これは監督の長編デビュー作で、元はデビュー作にここを舞台にした劇作を作る予定が、取り壊しの予定が早まり急遽これを撮ったそうです。
自分はカンボジア映画は初めて観ました。そして日本という字を見るとは思わず驚きました。見知らぬ世界が、日本という聞き慣れたと思っていた筈の世界によって、知らないうちに少しずつしかし着実に、半ば廃墟となった建物と人々を軸に遂に壊れるまで時を刻む。その様を伝える映画というマスメディア。といった様相でした。最後の映像が撮れるのはすごいな。

監督と登場人物は、大体家族など面識がある人々で、固定されたカメラの長回しで人が動作する画面が映画の多くを占めます。また固定していたカメラの外に動きがあった時、少しのパンやピント合わせが割と赤裸々に映ります。または構成的なものも合わせたそういったある種の「洗練されていなさ」。それらから映画における監督の存在感生活感は非常に強く、ドキュメンタリー映画と言われて想像する以上に記録的な映像といった側面が強いです。
その一方で固定で撮られたキメッキメの構図というのもまた映画の多くを占めており、それには記号的な映画性が余すことなく発露しています。それらの同居になにか浮遊した様な感覚を得ます。「作業中にもカメラばっかり」という監督の家族の愚痴を自分が眺めていることに不思議な気がしました。余りに近い距離感から存在感を放つ彼は、一方で映画の中をすべて決めることができる「映画監督」であるんだなあと。
ジャーナリズム的なものに「構図」などを用いることに発する露骨な虚構性が同居させられているのは、なにか森達也的なモノを感じました。

ポル・ポト政権と変わりゃしない。と繰り返す人たち。物は持って帰れるし多少はお金ももらえるからマシだ。とは一応なりますが…
直接的な残虐性などはもちろん比ぶべくもないですが、この「イズム」というヤツはポル・ポトよりも遥かに強大で倒しようもなく…このメディア性もそれと戦うものとしてのメディアだよなあなどと。

監督が父に「今どんな気持ちなのか」と聞き、明らかに話を逸らされ、それでも幾度も聞き、耐えかねた父に「聞かないでくれ、涙が出そうだ。俺は絶対に答えない。」と受け答えされるシーンはとても印象的で、映画のメディア性、メディアの嘘、映像のメディアの功罪といったことまで感じさせます。
聞かないべきなのかもしれないが、聞き続ける監督。映像に収められたこの問答のうちに、絶対に答えないといった父の気持ちは彼の意に沿わず、かえって痛いほど溢れ出してしまっている。「警察に世話になったことなどない」という事実を言う。そして素材の中からこれを選び、映画にするための編集を施す。これもマスメディアだなあ…

忌憚なく言えば、質的に高い水準にある映画ではないと思います。しかし長編デビュー作でこれというのはむしろ凄いセンスというか、独特の浮遊感を感じさせる作品でした。今後の作品が楽しみです!なのでもっと知られてくれ!東京フィルメックス京都出張編、配給がなく何処でも観れない映画がまだまだ上映されますので皆さん是非出町座、京都シネマへ!

(文:松澤)

参考:

東京フィルメックスHP https://filmex.jp/2019/program/competition/fc2

出町座3月14日18:50の回アフタートーク市山尚三さん(東京フィルメックスディレクター)

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