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『マイ・シークレット・ワールド』上映会、クレア・ワッドさん〈サラ・レコーズ設立者〉リモートティーチイン大公開!

こんにちは。映画チア部大阪支部の(なつめ)、(かんな)です。

映画チア部大阪支部が一から企画・配給・宣伝をし、11月14日にシネ・ヌーヴォで上映した『マイ・シークレット・ワールド』。今回は、その上映後に行われた、サラ・レコーズ創設者の一人であるクレア・ワッドさんとのティーチインの様子をお伝えします!
チア部からはもちろん、その場でお客さんからも質問を募り、クレアさんに答えていただきました。

上映に来てくださった方からも、今回は残念ながら来られなかった方からも要望を沢山いただいていました。上映から日数は経ってしまいましたが、楽しんで読んでいただけると幸いです!

なお、今回のティーチインの通訳は神戸市外国語大学の小倉遼大さんに担当していただきました。この場を借りてお礼を申し上げます。小倉さん本当にありがとうございました!!

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チア部 : 女性の象徴として女の人の名前をレコードレーベルにつけたと思うのですが、なぜ「サラ」という名前にしたのか教えてください。


クレアさん : サラレコーズという名前はかなり早い段階から既に決まっていました。最初、マットとどういう名前にしようと話していた時にすぐにその場で「サラ」という名前にしました。
特に意味的なものはあまりないのですが、ただ何かそういう感じがしました。もともとは、「サラレコーズ」という名前ではなくて、ただ単に「サラ」という名前にしたかったのですが、色々とあって最終的に「サラレコーズ」になりました。

また、女性の名前をレーベルの名前に起用するというのは時代の中ではかなり珍しいもので記者との問題もかなりあったのですが、最終的にはより良いものになりました。


チア部 : レーベルがレコード100枚で終わろうというのは最初から決まっていましたか?


クレアさん : サラレコーズを100枚目で終了するというのは、出来れば最初からそういうプランだった、と言いたいのですが、実はそうではありません。
インディーレコードの終わり方として、主に3つあります。1つ目は大きな会社に収集されること、2つ目はお金が尽きること、3つ目がどんどんと悪いアルバムを出して最終的に忘れられていくこと。だから、サラレコーズとしてはそのような事態にはなりたくないので、早い段階から違うことをしたいと思っていました。

そこである基準を満たした時に、サラレコーズをやめるという考えがどんどんと大きくなっていきました。最初の方は50枚を出した時点で終了しようと思っていました。しかし、サラレコーズを運営するのがとても楽しくて、最終的には8年間もやっていますし、もともとみんな若かったので、すぐに言い合いになることもある激しい現場だったのもあって、100枚目がサラレコーズを終わるのに切りのいい枚数だったのかなと思います。

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チア部 : マットさん(サラレコーズ共同設立者:マット・ヘインズ)の存在について、どんな影響を受けたのかを教えてください。

クレアさん : マットの存在はとても大きいものでした。レコードを最初に始めたときに、私は19歳で、マットは25歳だったのですが、やはり年齢の差というものがあり、マットは若い私よりも多くのことを知っていました。
もともとマットも私もレコード会社を始めたいとは思っていなかったのですが、一緒になってレコード会社を始めようとなった時にはマットのほうが、知識があるのですごく助けになりました。
ただ、1対1のような関係ではなかったのですが、最終的には彼は私にとって大きな影響のある人物でした。

チア部 : 日本には多くのサラファンがいることは知っていましたか?また、遠く離れた日本で今でも支持されていることをどう思っていますか?

クレアさん : 日本にもサラレコーズのファンがいることはとても素晴らしいことだと思います。サラレコーズを運営していた時に世界中にファンがいることに気づくことが遅くなってしまい、海外にレコードを配布するのが少し遅れてしまいました。
日本に実際にファンがいると気づき始めたのは1990年ぐらいからで、その時からサラレコーズのバンドのツアーを始めました。私とマットとヘヴンリーは、1992年に日本の大阪、名古屋、東京を回りました。日本で、1992~1993年は経済に大きな変化があり、そのことも人気になった一因なのかなと思います。

私が一番言いたいのは、もう既に30年近く経っているのに、現在もサラレコーズに興味を持っていただける方がいてとても嬉しく思うということです。

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チア部 : 映画の中で女性であることで不当に扱われていたことも描かれていたと思うのですが、それにどうやって立ち向かったのか、そのとき心に拠り所にしていたものがあれば教えてください。

クレアさん : 女性差別というものは、今の時代では多少は改善されているのですが、まだ完全に無いとは言えません。私の時代では、性差別について話すと、相手が問題を分かっていなかったり、理解しようとしていない人が多かったです。
例えば、サラレコーズに電話がかかってきた時に、私が電話に出ると秘書として間違われることも多々ありました。

また、一度インタビューに出たことがあるのですが、そのときにLadyと言われまして。番組にLadyの人がいるのはとても嬉しいことだと言っていたのですが、私にとってLadyと言われるのは女性差別的にも感じられました。
その後から、音楽記者に対して抗議のメールを送るようになりました。現在では、多くの女性がバンド活動をして、たくさんの機会が設けられていると思います。しかし、まだまだ女性差別は根付いているため、ここからよくなっていってほしいと思っています。

思い出としてよく残っているのは、マットと一緒に家の中で封筒を作ったり、レコードのジャケットを作ったりしたことです。他に大事にしているのは、バンドメンバーとの思い出です。例えば、ブルーボーイのキースとはよくロンドンの飲食店で一緒に食事をしていました。ヘヴンリーのマシューとはスペインのバルセロナで演奏をした後に飲みに行っていました。マシューは既に他界してしまっているのですが、今でも大切に思っています。

他には、サラレコーズを始める時、私自身は学生だったので、例えば、フィールドマイスがサウンドチェックをしている時に、私はエッセイを書いていたこともありました。
また、スプリングフィールドのメンバーが家に来たこともあって、その時に彼らと会ったことがあるのはマットしかいなかったのでとても驚きました。


チア部:お客さんからとても多い質問なのですが、最近のバンドで好きなバンドはありますか?

クレアさん:私の場合、新しいバンドを知るのは、どちらかというと演奏するところを実際に観に行く場合が多く、ラジオなどで新しいバンドについての情報は集めていません。
今、フランスで4週間ほど暮らしているのですが、今週の木曜日にpeenes(簡単に言えばジョーク(笑))というバンドの演奏があるのでそこに観に行ってみたいと思っています。
ロンドンの方にも観に行きたいギグなどがあるのですが、予定が合わず観に行けなくて残念です。

他にはサラレコーズ時代のメンバーが新しいバンドを組んで演奏しているので、その新しいバンドにも今、興味を持っています。

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チア部:サラのレコードを100番まで全部持っている人に会ったことがありますか?あったとしたら、何人ぐらいにあったことがありますか?

クレアさん:数人ほど会ったことがあります。私は全部持っているのですが、マットは最近まで持っていませんでした。いろんな人がマットにアルバムを送ってくれたので、今では二人とも全部持っています。
100枚持っている人に関しては、アルバムを保存するのではなく、レコード自体を再生していただきたいと思っています。コレクター作品として価値が上がっているということもありますが、やはりレコードというものは聴くものなので、是非再生してほしいです。

チア部:最近はサブスクリプションで音楽を聴く若い人が多いと思うのですが、クレアさんはそれに賛成反対…というか、どう思っておられますか?

クレアさん:サブスクリプションサービスが良いとか悪いとかいう問題ではなく、それが今の真実・事実であって、現在そういう風に音楽を聴けているということであるだけだと思います。
サラレコーズの曲もSpotifyやアップルミュージックなどでほとんど聴くことができます。曲のダウンロードで音楽が聴くことができるようになることで、誰でも音楽を聴くことができるようになって良いことだと思います。

ただ、消費に関してや製作に関しての問題はあると思います。例えば、曲ひとつひとつのダウンロードでバンドが得られるお金というのが本当に少しだけという点は変えてほしいと思います。しかし、ダウンロード自体は悪いことではないと思っています。
また、(レコードやCDを保管する)スペースがあまりない人にとっても、ダウンロードサービスやサブスクリプションサービスというのは良いことだと思います。

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チア部:次はクレアさんご自身の内面的な部分についても伺いたいと思います。
10代の頃から色々な大きなチャレンジをされていると思うのですが、何か行動するときに怖さやためらいはありますか?また、怖さがあったとしたら、それをどうやって克服していますか?

クレアさん:もちろん怖いことはいろいろありました。人生というものも何かをすることもとても怖いことだと思います。
1つ言えることは、10代の頃はあまりリスクのことを考えないので、行動に移すことができたのだと思います。
現在、私は会計士をしているのですが、もし誰かにレコード会社を立ち上げたいと言われたら、まずリスクのことは考えたかと聞いてしまうでしょう。やはり年を取るとリスクをとらなくなるのと、人間としてつまらなくなると思います

だから私は10代でサラレコーズを立ち上げることができてとても良かったと思います。現在では怖さを乗り越えるためには、ファンとの時間を過ごすことが一番かなと感じています。
最近はファンと実際に会うことはできませんが、サラレコーズを立ち上げて後悔していることはありません。

チア部:では、年齢を重ねることに恐怖を感じることはありますか?

クレアさん:心配していることと言えば、最近各国の保険制度が緩いものとなってしまって、今現在私に子どもはいないので将来寝込んでしまったらどうしようとは思っています。
ただ、年を取ることの良いことは、自分が何者かということがわかるようになることです。そうすることで他人の意見を気にしなくなります。自由な時間も増えるので、それが楽しみです。

チア部:お客さんからの質問で、「チア部さんから日本で上映したいという連絡を受け取ったとき、依頼のどんな言葉に心を動かされましたか」というのがありました。
こちらについて少し説明すると、配給をしているのはルーシー監督なので、チア部の動きとしてはクレアさんではなく、まず監督に上映したいということを連絡しました。
そこで質問を少し変えて、私たちチア部は若者のグループなのですが、そういった若い人たちが何かをすることをどういう風に評価しているか聞きたいです。

クレアさん:まず、日本でこの映画が上映されることはとても良いことだし、新しい場所で上映していただけることもとても嬉しく思っています。
監督のルーシーさんは4,5年かけてこの映画を作ったのですが、連絡ができないメンバーもいたので、連絡できるように手を回すことに苦労していました。
なのでルーシーさんに代わって言えることは、やはりありがたいと思っているということです。

私は今53歳なのですが、次の世代が創作活動をしていたり自分がしたいことをするのはとても良いことだと感じていました。実際にクリエイティブなことをしているのは若い世代であって、自分よりも若い世代がこのようにクリエイティブなことをしているのは良いことだと思います。

お客さん:(拍手)

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チア部:クリエイティブなことをしたい若い人、すべての人に何かアドバイスがあれば教えてほしいです。

クレアさん:一番のアドバイスとしては、自分を信じて決意することです。やはり自分がしたいことというのは自分がパッションを持っていることなので、他人がもしも自分のしたいことを否定してきても自分を貫くことが大事だと思います。
実際に私がサラレコードを立ち上げる時に両親から反対されましたし、もっと普通の仕事をしたらどうかと言われました。私も普通の仕事をしていたら違う生活をできていたかもしれないと思うこともありますが、後悔はしていません。

30,40,50歳となってくると難しいこともありますが、私が19歳20歳25歳の時にサラレコーズを立ち上げることができて大きく人生が変わりました。

もう一度私が言いたいのは、やはり、自分がしたいことを理解して自分を信じることが重要だということです。
私は今、会計士の仕事をしているので、実際どうなったら自分の経済状況が悪くなるかわかってしまうのですが、一番大切なのは、しっかりチャレンジして楽しむことだと思います。

チア部:日本のファンに向けてメッセージをお願いします。

クレアさん:映画を観ていただきありがとうございました。実際私がもっと準備していればちょっとした日本語を喋ることができていたかもしれませんが、「ありがとう」と言わせてください。本当にありがとうございました。

チア部:数日前私たちが話した際、あなたはつたない英語にもかかわらず私の話を丁寧に聞いてくれました。あなたにインタビューができたことは私にとって本当に光栄なことであり、そんなあなたのDIY精神をずっと心にとどめておこうと思いました。
今日はとても朝早くにもかかわらず、Zoomでのティーチインに来てくださってありがとうございました!!

クレアさん:私もとても嬉しかったです。来てくれてありがとうございました!さよなら~!!


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