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美しいひと

映画「無法松の一生」

九州は小倉の無法松こと富島松五郎といえば、三船敏郎さんのイメージでしたが、先日、オリジナルのリマスターを見ることができました。
オリジナル「無法松の一生」でまず特筆すべきは、製作が1943年であるということです。本土への空襲は本格的には始まっておらず、戦中において娯楽映画の撮影がまだぎりぎり叶ったのでしょう。プロパガンダではない映画を製作できたのはクリエイターたちの、この映画を撮りたいという執念で、脚本が検閲で却下されても構成を何度もやり直し、加筆をして、ついには検閲を突破したのだと思います。

時は明治。車引き(今でいうところのタクシードライバー)の無法松はあるとき、けがをした少年を道端で助けて、親切に少年を家まで送り届けます。送り届けた先は陸軍将校の吉岡家。たまたまご主人が無法松の人柄を知っていて、無法松と吉岡家は懇意になりますが、あっけなくご主人が病死してしまい、のこされた奥様と少年(無法松はボンボンと呼ぶ)を無法松が見守りつづけるというストーリーです。

1943年の無法松の一生

オリジナルの無法松役は阪東妻三郎さん。かの田村3兄弟のお父上です(お顔だちがよく似てらっしゃいます)。
阪妻さまの無法松は、それはもう、威勢がよくて、茶目っ気たっぷりで、人情のある明治気質の車引きなのですが、わたしが目を奪われたのは、奥様役の園井恵子さんの美しさです。こんなきれいなひと、見たことないっていうくらい、お姿も、お声も、立ち居振る舞いもお美しい。元宝塚女優で、退団後は桜隊という劇団で活動し、巡業先の広島で原爆投下に遭い、亡くなっています。
ちなみに、ボンボン役の少年は、長門裕之さんです。

戦後、再びGHQの検閲に遭い、シーン削除を強いられたこの作品は、無念をはらすかのように、同じ監督の手でリメイクされました。三船敏郎さん主演で、ベネツィア国際映画祭の最高賞である金獅子賞を受賞したことで知られています。
こちらの奥様役は、昭和を代表する国民的名優の高峰秀子さん。何でも多様に演じられる、今でいうところのカメレオン俳優と称される方ですが、若くして未亡人となり、無法松を頼る清楚な女性像は、本当に凛として愛らしくて、引き込まれていきます。

1958年の無法松の一生

当局の検閲は、無法松こと松五郎が陸軍士官の未亡人に恋慕を寄せるのをけしからんとしたようですが、松五郎の奥様へ寄せる気持ちは果たして、美しい異性への、決して打ち明けることのできない恋心だったのでしょうか。
賭博や逢引のシーンが没収されたかわりに投入されたのが、松五郎が自らの少年時代を回想するシーンです。彼は生みの母親を知らず、育ての母親からドメスティック・バイオレンスを受けていました。父親は遠くへ出稼ぎに出ていて不在です。母親の虐待に耐えられなくなった松五郎は家出して、父親の出稼ぎ先を草鞋履きの足でめざし、とうとう父親と再会できたとき、号泣します。メソメソとよく泣くボンボンに「オレが泣いたのはあのときだけだ」と話しきかせる、見せ場のひとつです。
松五郎は、美しいひとに、理想の母親像を重ねたのではないでしょうか。恋心以上に、こうあってほしかった母親像を奥様に見出したのではないかと思えてなりません。

オリジナル版にもリメイク版にも、車輪が回る映像が度重なり登場します。これはシーンとシーンのつなぎとして用いたのではなく、松五郎がどれだけ懸命に働いていたかを表現した人物のシャレードです。松五郎本人や他人に「必死に働いている」とセリフで言わせたり、汗水たらして働く姿を映すのではなく、松五郎の分身といえる車輪でそれを表した、とても上品で見事な演出と思います。