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南極料理人 / 沖田 修一


南極料理人/ 沖田 修一

 最初に観たのはいつだったか思い出せないけれど、南極料理人は私が初めて見てから何回も観直している映画だ。とにかくなんとなく暇だから見ようと思ってAmazonPrimeで観たことを覚えている。なんとなく配信で観た映画をとても好きになってしまい、「映画館で観たかったなあ……」と後悔することあるよね。ミニシアターで何回か記念上映がされているようなのでタイミングが合えば行きたいよ。

 映画の舞台は題名にもなっている南極だ。とはいっても南極で撮影したわけではない。撮影は1月下旬に北海道の網走市で行われたらしい。この映画を観たことがある人の中で、南極に行ったことのある人はごく少数だと思う。実際の南極とのギャップがわかるのは数えるほどだろう。私も南極にいったことはない!!!(一度でいいからいってみたいなあ…)
 記事のサムネイルになっている写真は、何年か前に網走流氷観光砕氷船おーろらに乗った時に撮影したものだ。この時はドはまりしていた漫画ゴールデンカムイの聖地巡礼で訪れた。北海道って広いし何回も行きたくなるよね。

私はこの映画のことをコミュニケーションの映画だと思っている。面白いギャグシーン満載だし、本当に楽しい映画だけど、それだけではないと感じる。人間関係に悩んだときにおすすめしたい一本だ。


ご飯とコミュニケーション

 この映画は調理担当として南極に派遣された主人公の西村が、様々な料理で越冬隊の仲間たちとコミュニケーションを深める物語、だと私が勝手に思っている。
 舞台となるドームふじ基地は昭和基地の約1000km南のドロンイングモードランド地域の氷床上の頂上に位置する。ここがミソで、昭和基地に比べて設備が全くそろっていないし、この基地には各専門職から1名ずつしか派遣されない。望んでこんな極地に来たんじゃないのに…、というスタンスの隊員もいる。
 そのスタンスをずっと貫いているのが古舘寛治さん演じる御子柴さん、通称:主任だ。主任は仕事が嫌になって昼食を食べることを放棄していた。明らかにストレスによるセルフネグレクト状態に陥っている。そんな主任にも主人公の西村はおにぎりを差し入れする。結局そのおにぎりは瞬間に凍ってしまって食べられなくなってしまった。
 他にも、生瀬勝久演じる観測担当の本さんは、「飯食うために南極に来たんじゃないから」と「飯を作るために南極に来た」西村に対して言う。自分を大切にしないことは他人を大切にしないこと、とはよく言ったものだ。
 そして主人公の西村自身もあることがきっかけで職務の調理を放棄してしまう。
 こういったトラブルを料理を作ったり、一緒に食卓を囲むことで解決していくのだ。見終わったときに誰かと話をするって大切だなあ、としみじみ思う。

個人主義の集団

 私がこの映画のなかで特に好きなところが、個人のアイデンティティを確立したまま物語が進んでいることだ。物語の最初と最後で個人の性格に変化が全くない。キャラクターがそのままでちゃんと最後にはうまくいっている点だ。
 主任はずっと帰りたいし挨拶に返事をしない。結局は、「私は私、あなたはあなた」という境界線はちゃんと引かなくちゃならないということを教わった気がする。共感力が高いと、自他の境界が曖昧になってしまうことがある。そんなときに観ると色々なタイプの人がいるようなあ、と一歩冷静になって考えることができる。私にとってはそんなお守りみたいな映画だ。
 この映画は、俳優が粒ぞろいで素晴らしく、演技もとてもいいのでぜひ見てほしい。そして何より出てくる料理が全部とても美味しそうなのがいい。


エンドロール

 実は南極料理人は実話をもとにしている。西村淳さんのエッセイ「面白南極料理人」だ。私も実際に読んでみたが、基地生活の写真が散りばめられており、レシピなども載っていて読み応え抜群だった。
 映画南極料理人はドームふじ基地の生活から場面が始まるが、エッセイでは日本での準備段階から描かれる。食材仕入れ計画や、中継地のオーストラリアでの食材調達などがとても面白かった。なにより昭和基地からドームふじ基地への移動が特に大変そうだった。昭和基地の設備に対する恨みつらみも気の毒だが大変愉快だった。
 これを書いている途中で南極料理人を観ようとしたきっかけを思い出した。名古屋に出張した帰りに、名古屋港で南極観測船ふじを訪れた。名古屋港水族館目当てに行ったが、貴重な資料もありとても見ごたえがある。機会があれば南極観測船しらせを見に行ったりしたいですね。

南極観測船ふじ 名古屋港は見るものいっぱい 1日いても飽きないよ


 


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