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怪物の胸を借りて"漢"になった男たち。「ゴジラ−1.0」


先日仕事先のお宅でお片付けをしていたんだけど、男の子のいるおうちって何でゴジラの人形(フィギュア?)がいっぱいあるんだろう?って疑問に思った。

しかもゴジラだけじゃなくてさ、ガメラ?みたいなおんなじサイズくらいの化け物の人形が、向かい合って並べてあんの。

令和を生きる、小学校低学年の男の子でも、やっぱり怪獣がすきなんだなぁ〜って改めてゴジラの魅力を知りたくなって、

アマプラで「ゴジラ-1.0」を見てみた。

作品の舞台は太平洋戦直後の焼け野原の東京。特攻隊員として玉砕するはずのシキシマくん(神木隆之介)は、死にきれなくて整備が必要だと嘘をついて中継地の離島に降り立つ。

整備士の人たちは、シキシマくんが命推しさにウソをついてることは知ってるんだけど、見下しながらも黙っててあげていて。


そんな中、タイミングよく(笑)ゴジラが現れるんだけど、整備士の1人の男性が、「今なら責任を果たせるぞ!ゴジラを撃て!」って、シキシマくんに敗戦の罪悪感をなすりつけるのね。


そこでもやっぱりこわくて命拾いしてしまったシキシマくんなんだけど、東京の実家に帰っても「自分が死ねばよかった」って言ってPTSDになっちゃう。

そんな時に、またまたタイミングよくゴジラが、今度は東京に出現するという。。


最初はゴジラを心底怖がっていたシキシマくんなんだけど、

特攻隊員として使命を全うできなかった罪悪感と、ゴジラに殺された人たちを救えなかった罪悪感とがごっちゃになって、しだいにゴジラに殺意を覚えるようになる。。




それでね、


庵野秀明の「エヴァ」とか、ヒッチコックの「鳥」とか、スピルバーグの「ジョーズ」とかって、よくわからない生き物が人間を襲うパニック映画ってあるじゃん。


あれはさ、あの怪物たちは、人間たちに「胸を借している」んだと私は思うのね。


もっというと、彼らは私たちが、「必要としている存在」とも言えるんだ。


だってさ、


シキシマくんの罪悪感は、ゴジラが現れる前からあったんだもん。


それは彼のせいじゃなくて、日本という国の未熟な精神性のせいなんだけれど、そこに向き合えていたら原爆は落とされていなかった。


そんな言葉にできない"間違い"に、もう一度向き合わせてくれたのが「ゴジラ」だった。


そうゆう風にわたしはこの映画を見てた。


原爆の開発者を扱ってアカデミー作品賞取ったオッペンハイマーに対して、


「あれの日本側から見た作品を、僕たちは作らなきゃいけない」って監督の山崎貴さんが言っていたけど、


もうこの作品でちゃんと描いているよね。




絶対に倒せそうにない敵をなんとか倒そうとするとき、なぜだか私たち人間は、とんでもなくクリエイティブになれる。


そのピュアなエネルギーを「男性性」というんだけど、


その使い道をどうするのか、そこまできちんと提示していたのはやっぱり凄かったよ。


(ゴムボート作ってる会社が出てくるとことか超よかった。てゆうかゴジラってどうやって浮いてるの?)



あとね、



これは私たち若者世代の使命だからなんども言うんだけれど、


男性性の本質(最終形態)は、


「守りたい」

だよ。


「戦いたい」じゃねぇんだよ。


世界は"それ"を「愛」と呼ぶんだよ。


そんなメッセージが、内側でぎゃんぎゃん鳴り響いていました⚡️🎸


だからやっぱりゴジラがしょぼかったらさ、
「戦いたい」で終わっちゃうんだよね。

「海の力でゴジラを殺す」


その発想が出て来たのは、「力で叶う相手じゃないんだ」って、ちゃんと自分の未熟さを受け入れられたから。

それは「強さ」なんだよ。

それを命がけで教えてくれたのが、ゴジラだったんだよね。


だからゴジラはむちゃんこカッコイイんだね。

ゴジラってメスだよね、たぶん。


p.s. 現実の世界では、原爆もゴジラも強制終了もない、みんなが笑って「漢」になれるような時代にしようね。

fin.

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