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社会人になった恩恵、かも

こんばんは。今日は朝からワクチン休暇を頂いて、ワクチン接種の時間帯自体は午後からだったので優雅に午前中は映画館で映画を観て参りました。

ムーミンの原作者トーベ・ヤンソンの伝記映画「TOVE/トーベ」です。

ムーミンのこともトーベのことも殆ど知らなかった状態で観に行きました。伝記映画と言うとなんだか大層な映画のように聞こえるのですが、個人的にこの映画はトーベのことを一人の悩める女性として描いていて、偉人だ凄い人だともてはやすよりかはこちら側へ歩み寄ってくれるような感じがしました。

「自由な愛」というとなんだか素敵な響きがあるのですが、この言葉の捉え方が大きく違うと悲劇が生まれます。この間観に行った「Summer of 85」もその言葉の捉え方の違いから生まれる悲劇があったように思われます。

トーベ自身も、自由な生き方、そして愛を求めているわけなのですが、自分の求めるものと人が求めるものが完全に一致することはなかなかないのかもしれません。時折重なりあうだけで…

そう思うと結婚って本当にすごいんだなと思ったりします。結婚してずっと重なり続けるわけではないだろうし、一瞬の重なりだったり、重ならずともそばにいるということもあるかもしれません。この年になって親ってすごいんだなあと思います。結婚して、子供を育て上げるということは私にとって新聞の記事になってもおかしくないくらいの大事です。毎日子どもが社会人になって家を巣立ったという親の人たちを紹介するような報告欄が新聞にあってもいいのになあ。

私は今は1人で生きるのでも精一杯だし、自分のことを考えるだけで頭の中はいっぱいいっぱだし、だから誰かのために、誰かのことで頭の中をいっぱいにするってすごいことだなあと思います。重なる時も、重ならない時も、その人たちのことをぼんやり考えたり、その存在を意識するということは時には重荷になってエネルギーをもってかれて大変な一方で、いつでも頭や心のその一角は満たされているような気もします。

いいなあと思いながら自分にはまだまだ縁遠い感覚なんだろうな、と。そんな感覚を時には重なり合いつつ見出せる相手を見つけられるよう、そしてそんな相手がいたら自分を見てくれるよう、自分自身も磨いて成長してゆかねば~と思いました。

映画の感想というより自分の話多めになってしまいました。でも多分この映画に限らず、良かったなと思う映画ほど自分の話ができるものですね。自然と自分の中にある感情や記憶が呼び覚まされるような、そういう誰かの心の琴線に触れることが映画にとってもこれ以上ない喜びなのだと私は信じております…映画を語る人で自分語りが多いのは映画は本来そういうものだし私はむしろそういう話を延々聞いてたいのですが、友達でもない人間に突然自分の人生の話なんて早々しないですよね…だからこういう場所は貴重だなと思います。私も口が軽くなってふわふわ書いてしまうし、色んな人が同じように自分のことを書いてますよね。ありがたい時代です。

話はそれにそれて本当に書きたかった話から遠ざかってしまったのでここら辺で軌道修正。

映画を観終わってワクチンを打って、家に帰ってきてから「コレクター」というモーガン・フリーマン主演のサスペンス映画を観て、ドラマの「カルテット」の2話と3話を観ました。社会人になってから1日に観れる映画やドラマ、アニメの限度が上書きされたような気がします。タイトルにしている「社会人の恩恵」とはこれのことです。以前は1日1本ぐらいじゃないと頭がついていかなくなるような感覚があって、2本目3本目を観ようとするとあんまり中身がちゃんと入ってきてなかったように思うんですよね。それが社会人になって長時間労働による脳の酷使が表に出て、集中力がぐっと上がりました。頭を働かせることを自分は今まで割かし怠ってきたのだなあと気付かされました。特に大学時代は頭の使っている場所が違ってたのかもしれません。「いかに今を楽しむか」を考えることにしか頭を使ってなかった気がします。

1日に何本も、色んな映画やドラマ、アニメが楽しめるとなると最高ですね。明日も一応ワクチン休暇なのですが、しんどくなかったらいっぱい映画やドラマに浸ろうと思います。しんどかったら…寝ます(笑)今のところじわじわ腕にきていますが、熱出ませんように…とりあえず今からまた「カルテット」の続きでも観ようかと思います。

ちなみに「コレクター」は最後のオチが全部持っていくので、割かし怖くない猟奇的誘拐殺人事件が観たい方にはおすすめしたいです(笑)色々つっこめるんですけど、まあご愛敬ですね。サスペンス映画はあんまり好きじゃなくて、たま~に観るのが丁度いい感じです。

今日はなんだか垂れ流しで書きすぎました。それでは、そろそろこの辺で。

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