どうしようもない気持ちはどこにいくのか
今日はちょっとコロナのことで、怒りと諦めと虚無を味わったのでそんな話をします。
職場でコロナ陽性反応者が出ました。
こればっかりはもう仕方のないことなんです。
かかった人は私が1番お世話になってる先輩で大好きな人です。
私の知る限りかなり慎重な先輩なので、きっとこれはもう本当に仕方のないことなのです。
私はその先輩と同じ会議に出席しました。
会議は2時間弱。
しかしこの会議、本来なら私は特に参加する必要はありませんでした。
私が出社日をその日にしていたからで、その日にしたのはその先輩と出社日を合わせたからで、、
色んな「そんなことをする必要はなかった」が重なり、私は恐らく一応濃厚接触者にあたり、この3連休が水の泡になったわけです。
1ヶ月以上前から念入りに計画し、待ち侘びていたイベントが2つもある予定でした。
そのどちらもがこの「そんなことをする必要はなかった」によって木っ端微塵に消え去りました。
最初の知らせを聞いた時に自分の中に広がったのは「怒り」に近いものだったのだと思います。
でもそれは光の速さで「諦め」によって覆われました。
これも、あれも、行けない、ずっと楽しみに準備してきたのに、キャンセル料発生もしくは全額負担、ああ、おわりだ、、
ただただ失われた楽しみの時間とお金。
そうしてねっとりとした「虚無」に包みこまれていきました。
「諦め」の薄膜に覆われ、「虚無」の隙のないコーティングに包まれ出る場所を失った私の「怒り」。
今私には「怒り」は感じられません。
がしかしそれはそこにたしかにあるはず、なぜなら強固な存在感を持つ「虚無」があるのだから。
やれやれ、こんな風に書いてみてもどうにもならんのです。
どうしようもない気持ちは最終的にどこにいくのか。
私の答えとしては「己のゴミ箱」であり、蓋をしたまま見ないフリをしているゴミ箱です。
時という燃料で燃やすしかありませんが、今はまだその燃料もなく、燃え残る可能性だってありますが…
まあまた今日もとりあえずポイして蓋しときます。
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