なんか新しい言語でもと、

一体どうしてしまったのだろうか。体は疲れ切っているのになぜだか脳は休んでくれないということが最近よく起きるようになった。そのモードに入ると適当に時間をつぶすことが何よりも苦しく思える。脳が覚醒しているからなのか、ただTVの画面を見つめる、スマホの画面を見つめるといったことがとてつもなく苦痛に思えてくる。一体私の頭はどうしてしまったのだろうか。脳が覚醒していることは決して悪いことではないはずだが、無駄に覚醒しているのはなんだか勿体ない。そこでとりあえず脳に何かオモチャを与えてみようではないかと思った。

以前から資格を取らねばと勉強をちょびちょびやっているのだが、そういう必要に迫られた資格の勉強をするのではなんだかつまらん。人間いくらか何のためにもならんことをしている余裕がなければならん、そう思って、昔から勉強の中では比較的好きだった語学の勉強でもしてみようと思い至った。大学時代に第二外国語として選んだのはフランス語。どうせ新しく始めるならばーと思い切ってロシア語を始めてみようと思った。

がしかし、これが想像以上にむつかしかった。そもそも基本のアルファベット的な文字たちの読み方、書き方のところからやらなきゃいけないのが大変に面倒くさく思えた。覚えるべきことがあまりにも多すぎた。ひとまず巻き舌の練習はしようと思うが、これは今の私では限界があるぞ…謎の脳の覚醒に与えるオモチャごときのことに壁を感じるのは少しまずい。心の余裕を持たねばならんとはじめたことに心を圧迫されてはたまらない。そこでひとまずこれまでに学んだことのあるフランス語からやり直すことにした。これならまだ分かることも多い。文法やら単語やらも見覚え、聞き覚えがある。フランス語は何よりリスニングするのが楽しい。響きが好きなのだ。

ここで言語学習に使っている無料のサイトについて紹介しておこうと思ったが自分で語れるほどにこのサイトに詳しいわけでもなかったので「東京外国語大学大学院が研究成果を活かして開発したネット上の言語教材」という説明書きをここに引用するにとどめる。


これが無料なのか!と驚くほどにかなりクオリティが高くて、分かりやすくて、独学でもなんだかやっていけそうな気がするのである。本を買ってもいいのだが、趣味として手始めに言語を学ぶにはもってこいだと思う。

新しい言語を学ぶのは新しい表現方法を習得するような感じでワクワクするのだが、母語以上にしっくりくる言語に出会えるのかという不安は拭いきれない。ほんの少しだけかじった感覚では、ロシア語は作りが自由そうな言語だったので案外出会えるのかもしれない。がしかし、ここはひとっ飛びにロシア語に向かうのではなくひとまずフランス語から派生していそうな言語をせめていって自信がついたらまたロシア語に戻ってくるのが得策ではなかろうか。懸念されるのは、この謎の学習意欲がいつまで続くのかということである。脳の謎の覚醒もいつまで続くのか。

以前は漢検準1級を取るのだ!と奮起し、受験したが残り2点足りなかった。漢検準1級など持っていても大して何にもならんことは自明である。1級ならまだなんだか人にも自慢できるか準1級はなぜか地味である。しかしそれでも昔から漢字が好きで漢字の勉強は全くもって苦にならんかった私にとってもはや地味だのそんなのはどうでもよいのだ。漢字にふれ、試験で出会う新たな熟語との出会いが面白くて仕方ない。なんだこの知らん熟語はあ!と試験中1人で悶々とするのが楽しかったりもするとんでもない変態である。恐らくこの手の変態が1級ともなると半数を占めるはずだと私は考える。話がそれたので私と漢検準1級の話に戻ろう。ひとまずとにかく準1級合格者にはなっておこうと再受験したのだが、合格点をかすりもしない低空飛行。そんなことがあったのが数か月前のことである。あれから仕事で役に立つであろう資格の勉強をしてみたりして漢字から遠ざかっていた。

これまで私は無類の漢字好きなのだと思っていたが実は言語そのものが好きなのかもしれない。この年になっても自分に関して新しい発見があるのは面白い。言語などこれからの時代おそらく自動翻訳機が進化して自分で脳内変換せずとも機械が流暢な翻訳をしてくれるようになっていくのだろう。漢字に関しては自分で知らなくてもすぐにスマホで調べられる。一体何の役に立つというのか。少なくとも大した金にはならんだろう。でもだからこそ私は頑張れるのかもしれない。不毛なことに全力を尽くして生きることは決してそのこと自体は不毛ではない。金のため、時間のため、仕事のため、何かのために何かをすることが当たり前のこの時代をあえて自分は逆行してやるのだ。そういう自分を自分だけは肯定してやりたい。それに言語は人の思考を根底から支えているものだ。言語という鎧を身にまとって生きてゆきたい。母語ですら私には諸刃の剣ではあるのだが…言語を愛してはいるが言語には愛されないのが私の人生かもしれない。まあしかし気だけは長いので、めげずに地道にぼちぼち行くのだ。がんばれわたし。



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