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大きな口で笑えても。

 小さいころからよく笑う子だった。
「笑うって書いてエミって名前にしようかとも思ったのよ」
と、亡き母があきれ笑いをしながら何度も話していたくらいだ。
 笑う、と言っても、『うふふ』といった笑い方じゃなくて、『がはは』って豪快に大きな口を開けて笑うそういうタイプの女の子が私。小中高校と、いわゆる思春期のときも変わらずに、歯をむき出しにして笑っていた。アラフォーの今でも、それは変わらない。

 思春期を迎えると、私にも彼氏と呼べる存在が出来て。初デートで食べに寄ったお店が、モスバーガーだった。単なる男友達が、『付き合おう』という言葉一つで『彼氏』という存在となり、緊張していたということもある。だからこそあまり気取らない場所で、ということで選んだと記憶している。

 でも、そのチョイスが間違いだったと気づいたのは、テーブルにてりやきバーガーが到着し、さぁ食べようと、口へ近づけたときに気が付いた。

 モスバーガーは、口を大きく開けないと食べられないのだ。

 『男友達』の前だったら、多分平気で頬張っていただろう。でも目の前にいるのは『彼氏』だ。大きな口を開けて食べるってはしたないんじゃないか……と思いはじめたら、もう食べられないのだ。大好きなてりやきバーガー、どうやったら食べられる?

 結果、ふわふわのバンズと挟んであるものすべてを。

 つぶして口に入れた……。

 私がワタワタしているのを眺めていた彼は、苦笑いしながら
「普通に食べな? それくらいで嫌わないから」
と、言ってくれたのを覚えている。というより、そこが強烈過ぎて、初デートの記憶はそれしかない。

変わること、変わらないこと。

 人間は根本的なことはあまり変わることはないという。私の大きく口を開けて笑うスタイルはわからないが、初デートの淡い想い出は、私に『ありのままを見せること』の大切さを教えてくれた。モスバーガー事件のあとは、普通にショッピングセンターを見て回り、楽しく過ごした記憶しかない。緊張が解けたこと、自分を作らなくてよくなったことが、いい記憶として残っているあかしだと思う。

というのは後付に過ぎないが。

 少なくとも、今一緒にいてくれるパートナーも、友人たちにも、作ることなく、『ありのままの自分』を見せている。それでも離れず付き合ってくれるのは、少なからず私という人間を知って、なにかしらでつながっていたいからではないかと思う。

 ちなみに。

 パートナーとはもう10年のお付き合いになる。
 そのなかで一番笑った言葉は、
「お前のいびきがうるさいけど、聞こえてないと死んでるんじゃないかと不安になる」
と、いうものだ。

 ここまでこれたら大したものだと思う。

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