みんな大好き「真実」について考えてみた

さて、今日も妄想全開で行きましょう。

みんな真実が知りたくてたまらない。真実が大好きだから。

テレビでニュースや報道番組を見るのも、ワイドショーやグルメ番組を見るのも、ネットで色々検索するのも真実が知りたいから。

国民が選んだ我々の代表者である国会議員様もいつも国会で真実を追求しておられる。みんな真実が大好きなんだ。

多分…きっと…そうなんじゃないかな。

なので今回は真実について妄想することにします。

結論: ”真実はいつも一つ”

結論から先に言うと、やはり日本でvery famousな某小学生が言うとおりだった。

自分はこう考えていた

真実とは、
1. 真の事実。誰であろうと否定できない疑いようのない事実。
2. 宇宙の摂理。神の理。人には如何ともし難い事柄。

これは今回この文章を書くに際して、私が勝手に定義したものです。
私が真実という言葉をいつしかこのような意味合いで使うようになっていたのを文字化したものに過ぎません。

つまりこれは私の勝手な思い込みです。いつから、なぜ、そのような思い込みをするようになったのか自分でもわかりません。

ググってみると、”真実”も、”事実”も小学3年生くらいで学習する熟語のようです。
もしかしたら学校で先生にそのように教わったのか、或いは国語辞典を引いたのか、もう随分昔のことなので記憶にありません。

これはいけません。マズイですね。自分の勝手な思い込みで言葉の意味を決めてしまってます。もしかしたら他にもこのように勝手な思い込みで決めていることがあるかもしれません。

定義の中でもう一つ気になる単語があります。事実という言葉です。
どうやら私は無意識のうちに感覚的に事実と真実を区別して使っているようです。

じゃあなぜ区別してるのだろう。何がどう違うんだろう。気になります。


原点に立ち返って

これまで自分勝手になあなあで使ってきた真実という言葉を、原点に立ち返って調べてみることにします。同時に事実という言葉との関係性も明らかにできればいいなと思います。

言葉の意味について原点に立ち返るならば、当然、国語辞典に当たるに決まってます。
そうです、当たり前です。そのために今回、国語辞典を新しく買いました。

「辞書なんてわざわざ買わなくても言葉の意味なんてネットで検索すればすぐわかる。いまどき当たり前だよ?」
そうですね。私も ”真実”、”事実” の意味を検索しました。
さらに、”事実と真実の違い” なんてキーワードで検索したりすると、実際に事実と真実の違いについて解説してくれているサイトが検索結果の1ページ目にいくつもあったりします。

 そしてそういったサイトで「事実とは〜」「真実とは〜」という感じで当たり前のように定義が書いてたりするのですが、その定義は一体どこから出てきたのでしょうか?出典は何でしょうか。出典が書いてないのはそのサイトがオリジナルということなのでしょうか。

なんか少し前(このページの上の方)で似たようなものに身に覚えが……

検索結果が上位に来るサイトは一体どういうサイトなんでしょうか。なぜ検索結果を上位にしたいのでしょうかね。ネットは色んなことが簡単に調べられて便利ですが、思わぬ落とし穴あるので気を付けたいところです。

私はやはり出典が明らかで、多くの人が共通認識としている方が安心出来ると思うので、昔からある国語辞典を買うことにします。そう、《今はまだ》ね。

国語辞典を買うなんて実にン十年ぶりです。いけませんね、お恥ずかしい限りです。

今回買った国語辞典は、『岩波国語辞典 第八版』と『大辞林 第四版』、あとついでに『オックスフォード現代英英辞典 第9版』です。

購入する際にどの辞典を買おうかと下調べしたのですが、国語辞典ヤバいです。私の収集癖が荒ぶるのを必死に抑えつけています。


事実と真実 〜 辞書にはこう書いてある

では早速、国語辞典を引いてみます。

『 旺文社標準国語辞典 新訂版 昭53 』
 【事実】:ほんとうのこと。また、ほんとうにあったこと。
 【真実】:ほんとうのこと。まこと。

これはうちの押入れを探したら出てきた古い辞書なのだが、これじゃ事実と真実の違いなんてわかりませんね。
寧ろ、ほんとうのこととは何なのだろうか。

『 岩波国語辞典 第八版 』
【事実】:実際に起こった、または存する事柄。
【真実】:
 1. うそや飾りのない、本当のこと。
 2. (仏)絶対の真理。
『 大辞林 第四版 』
【事実】:
 1. 現実に起こり、または存在する事柄。本当のこと。
 2. 時間空間内に現に存在するもととして我々に経験される出来事や存在。
【真実】:
 1. うそいつわりのないこと。ほんとうのこと。また。そのさま。
 2. (仏)絶対の真理。

この二つを比べてみると何となく見えて来ましたね。
事実は現実に存在するかどうかの問題であるということが窺い知れるが、真実については本当のことというとまだ少し漠然とした感じがしますが、絶対の真理とか言われるとなんか納得してしまいますが。

更に、英語でも調べてみます。

『 オックスフォード現代英英辞典 第九版 』
 ※和訳はGoogle transrateによるものです。
【 fact 】:
 1. used to refer to a particular situation that exist
  (存在する特定の状況を参照するために使用)
 2. a thing that is known to be true, especially when it can be proved
  (特に証明できる場合に、真実であることが知られていること)
【 truth 】:
 1. the true fact about something, rather than the thing that have been invented or guessed
  (発明または推測されたものではなく,何かについての真の事実)
 2. the quality or state of being based on fact
  (事実に基づく質または状態)
 3. a fact that is believed by most people to be true
  (ほとんどの人が本当だと信じている事実)

"a fact that is believed by most people to be true" (ほとんどの人が本当だと信じている事実)
というのが少し意味深で気になりますが、ここまで見てくると割とはっきりしてきたように思います。
事実というのは現実に起こった或いは存在するかどうかが問題で、真実は存在を前提としてその状態とか属性の問題で、嘘偽りのない即ち本当であるという属性や状態ということだと《私は》考えます


辞書を引いてわかったこと

辞書を引いてわかったことは、
真実とは
・嘘偽りのない本当のこと
・絶対の真理
・ほとんどの人が真実だと信じている事実
ということになる。

嘘偽りのない本当のことだとしても絶対の真理とは言えないこともあり得るが、絶対の真理ならばそれは必然的に真実と言えるだろう。そして絶対の真理ならばほとんどの人が信じるに違いないし、寧ろ信じざるを得ないだろう。

そうすると集合的には次のような関係になるのであろうか。

ほとんどの人が真実だと信じる事実 ⊃ 嘘偽りのない本当のこと ⊃ 絶対の真理

辞書的にはどの集合でも真実だが、どうやら私は ”絶対の真理” かそれに近い周辺の意味合いで真実を使っていたようです。

あなたはどの辺りでの真実を使ってますか?
あなたの周りの人、あなたが触れる情報はどうですか?

始点となる概念に共通の認識がないと、話が合わないどころか、会話が成立しないという事態になりかねませんからね。

さて、ここからが厄介な疑問です。 
・ほんとうのこと ってなんなん?  
・ほんとうかどうかはどうやって決まるのか?
・絶対の真理とはなんぞや?それは存在するのか?


”ほんとうのこと” ってなんなん?

『大辞林 第四版』
ほんとう【本当】:まちがっていたり、うそであったりしない・こと(さま)。⇔ うそ

取り敢えず辞書を引いてみると、
A:”まちがっているか否か” という問題 と B:”うそか否か” という問題
これらは同義なのだろうか?という疑問が生じます。

A:”まちがっているか否か” という問題について

『大辞林 第四版』
まちがい【間違い】:まちがうこと。正しくないこと。

ただしい【正しい】:物事のあるべき姿を考え、それに合致しているさまを言う。
1.道理・倫理・法律などにかなっている。
2.真理・事実に合致している。

辞書の定義によると、真実=ほんとうのこと。とすると
”ほんとう”のこと ー> まちがってないこと ー> 正しくなくはないこと ≒ 正しいこと => 物事のあるべき姿を考え、それに合致していること。

というふうに繋がりましたね。

そうすると、A:”まちがっているか否か” という問題は、物事のあるべき姿を考え、それに合致しているかどうかの問題ということになりますね。

上で  ” 正しいこと” としたのは、”間違ってはいないが正しいとまでは言えない” という状態の可能性を考えたからです。
そのような状態の可能性を考えるかどうかは、結局 ”あるべき姿” というのもをどう考えるかによるのではないかと思います。

つまり、上の辞書の定義にある
1.道理・倫理・法律などにかなっているのか、
2.真理・事実に合致しているのか、
のどっちを採るかによるのだと思います。

”1.道理・倫理・法律” は人間の主観によって作られたもので、
”2.真理・事実” は人間の主観とは関係なく客観的なものだと考えられます。

どっちを採用するかで真実の意味が違ってきますね。

B:”うそか否か” という問題について

うそ【嘘】:
1. 事実を曲げてこしらえたこと。本当ではないこと。偽り。
2. 誤り。間違い。

こっちも同じように考えてみます。
辞書の定義によって、真実=ほんとうのこと。とすると、
”ほんとう”のこと ー> うそではないこと ー>

(ここで、うその定義で場合分けしてみます。)
▶”2. 誤り、間違い” ではないこと ー> 正しくなくはないこと ≒ 正しいこと => 物事のあるべき姿を考え、それに合致していること。

この場合はA:”まちがっているか否か” という問題と同じように繋がりましたね。なので真実もA:の場合と同じということになりますね。

▶”1.事実を曲げてこしらえたものではないこと” ー> まんま事実そのもののこと。

事実を捻じ曲げるのは人間なので、そのような人間の関与を排除した状態の事実が真実ということになりますね。
なぜ捻じ曲げるのか?それはその人間にとってその方が都合がいいからでしょう。即ちそこには人間の主観が作用してるということです。

つまり、人間の主観を排除した事実が真実ということになります。

A:の問題、B:の問題 をまとめてみると
真実の意味は、人間の主観が関与するかどうか、主観的か客観的かによって意味合いが異なるのではないかと私は考えます。しかし、”本当のこと” という言葉の曖昧さによって誤魔化されているよう思います。


ほんとうかどうか、どうやって決まるのか

少し、おさらいしておきます。”真実=ほんとうのこと” ということからはじまりました。

『 大辞林 第四版 』
しんじつ【真実】:
 1. うそいつわりのないこと。ほんとうのこと。また。そのさま。
ほんとう【本当】:
まちがっていたり、うそであったりしない・こと(さま)。⇔ うそ
まちがい【間違い】:
まちがうこと。正しくないこと。

うそ【嘘】:
1. 事実を曲げてこしらえたこと。本当ではないこと。偽り。
2. 誤り。間違い
ただしい【正しい】:物事のあるべき姿を考え、それに合致しているさまを言う。
1.道理・倫理・法律などにかなっている。
2.真理・事実に合致している。

ここまでみてきて、真実 = 間違いではないこと ≒ 正しいこと ということがわかりました。

ということは、真実かどうかは、別の言い方をすると正しいかどうかということになり、即ちそれは ”物事のあるべき姿” を何としてそれに合致するかどうかはどうやって決まるのかという問題になる。

考えられるものとしては以下のようなものだろうか。
ア. 人が決める→この場合”誰が””どうやって”ということが更に問題となる
イ. いやいや、神に決まってるでしょ
ウ. そんな不確かなことではなく決まっていることであり、それは科学的根拠に基づいて証明されるものである
エ. 何となく決まっている

この中だと、ウ説が最大公約数的に一番 ”納得” 出来るのではなかろうか。
そして、オックスフォード現代英英辞典の
"a fact that is believed by most people to be true" (ほとんどの人が本当だと信じている事実)
というのにも合致するように思います。
なので、私はウ説を採用するのが合理的で妥当だと思うのです。

しかし、実社会ではどうもア説が採用されていれるように思えてならないのです。
さらにア説で真実とされることが当たり前となると、それはいつの間にかエ説になってしまうのです。


絶対の真理とはなんぞや、それは存在するのか

絶対の真理は辞書では仏教用語として挙げられていたが、私は科学的根拠に基づいて証明された事実を真実と捉えるのが一番しっくりすると考えている。

そうするとそれが存在するのかという問題だが、これは科学とはなんぞやとも関係すると思うで後述することにします。


メンドクサイ人の世の中

私は真実についてこのように考えて来たのだが、世の中には別の真実があるようだ。

例えば、
1. 自分の目で実際に見たのだからほんとうのこと(真実)だ
2. 〇〇大学の偉い教授/〇〇の専門家が言ってるからほんとうのこと(真実)だ
3. ”あの人”(自分が信頼してたり/尊敬してたり/好きだったりする人)が言ってるからほんとうのこと(真実)だ
4. テレビで言ってたからほんとうのこと(真実)だ
などなど……

これって真実どころか事実ですらない可能性もありませんか?
若しくは事実自体が異なった見え方をしているのかもしれません。
でもそれは私にとっての真実から見るとそのように感じるだけであって、当人たちにとってはきっと真実なのでしょう。

ということは、結局、真実とはその人にとって一番気持ちが良かったり/都合が良かったり/納得のいくことなんじゃないかということである。

でもやはり私はまだ納得出来ない。

「これじゃ人によって真実が異なるじゃないか。そんなことを認めていては、話が通じないし社会が混乱するではないか。」

みんなが同じものを真実だと認識し、そしてそれが人間には抗えない/否定しようがないものであり、そういう共通認識があれば意思疎通ももっと容易で社会も混乱しないのではないだろうか。

だがそれを神の所業とすると世界が更に混乱します。まぁもうそうなってるんですけどね。

なので、そこで科学だ、そのための科学だ……と思ってました。


科学は人類の妄想

先程、絶対の真理とはなんぞやというのは、科学とはなんぞやに関係すると述べました。

【岩波国語辞典 第八版 】
科学:一定領域の対象を客観的な方法で系統的に研究する活動。またその成果の内容。特に自然科学を指すことが多い。
科学的:科学の方法に合致して合理的・客観的にであるさま。

 私は大学で理学部だったので、科学というとどうしても物理や数学といった自然科学が念頭にあります。

一応理系の一個人が考えるところ、現代においては、自然界の法則とか宇宙の摂理だとか、何かそういったものの存在を信じてそれを探求していると思っています。

なぜ探求するのか?
自分の中のモヤモヤをすっきりさせたいから。日常の身の回りから宇宙に至るまで、様々な事象に対する好奇心やそれから生まれる疑問に対する答えを見つけ自分自身を納得させるため。

そして、自分なりの答え(即ちそれが自分にとっての真実)を見つけ、それが他人によって否定されないようにする必要がある。なぜなら否定されると自分の見つけた答えが正しくないと(思う/思われる)のが嫌だから。

正しくないと思ってしまうと、まだまだスッキリできなくなってしまう。
そこで、答えを見つけたなら誰もが納得するような理由と説明が必要になる。皆に否定されず納得されれば、それは自分だけでなく皆にとっても真実となる。

そのための方法/手段/言語が《いまのところ》自然科学でありそれを表現するのに欠かせない数学だと思っている。

つまり何が言いたいかというと、自然科学や数学を使って理屈をこねくり回すのは自分が納得するためであり、自然科学や数学は人類が自ら納得するために作り上げた方便だということである。

何とかの法則や定理が正しい?そんなこと誰が決めたんだ?人類にはそう見えているだけじゃないのか?

結局のところ絶対の真理だとか宇宙の法則だとか、そんなもん存在するかどうか分からん、ひょっとしたらあるかも知れん。でも、こんな風に考えたらあるんじゃないかなぁ…あったらいいなぁ、そんなところなんだと思う。

科学的に正しいとかいっても、科学自体が人間が自らを納得させ自己満足を得るために自ら作り出した手段にすぎないということである。

つまり、宇宙の理とか分かった気になってるだけなのである。

結局、自分が納得できたものが真実

科学を用いたとしてもそれは結局、人間が自分自身が納得し他の人間を納得させるための理由付けの一つに過ぎないわけである。

「子供の頃から『真実はいつも一つ』と聞かされてきんだ。真実は一つじゃなきゃいけないんだ。」

そう思ってた。そう思ってしまった。いや、そう思い込まされていた?

やっぱり小学生の言うことなんて信じちゃいけなかったのか?
いや彼は言葉足らずなだけで、ほんとうはこう言いたかったのではないのか。

『(あなたにとって)真実はいつも一つ』


いや、一つ修正を加えておく必要があるかもしれない。
『(わたしにとって)真実はいつも一つ』

結論

ずっと書き連ねてきたが、これは妄想にすぎないので結論など書いても仕方のないことなのだが、一応の〆ておかないと妄想はいつまでも終わらないのである。

なので、今回は一応以下を結論とし、〆ることにする。

『(わたしにとって)真実はいつも一つ』であり、真実とは、自分が納得出来る事実である。




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