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コンカフェの系譜

今回はコンカフェの歴史について書いてみるつもりです。といってもアンナミラーズのような制服が特徴的な90年代のカフェから今のコンカフェまでの歴史ではなくて、もっとさかのぼって明治時代のカフェーをコンカフェの源流だと考えてみたいのです。

『スナック研究序説 日本の夜の公共圏』によると明治時代、欧米のカフェを元に男性であるギャルソンの代わりに日本では女給を配したところからカフェーは始まったらしいです。
カフェーでは、美人女給を揃えているところもありましたが、メインは料理や酒だったようです。関東大震災後、女給のサービスを売りにしたカフェーが増えていき、女給は給料がチップ制であったため、段々過激サービスに流れるようになっていきました。
体を押し付けて接客することもあり、今のホステスみたいな接客スタイルになり、枕営業みたいなのもあったみたいです。
昭和3年には大阪資本のエロを売り物とするカフェーが東京に進出し、カフェーはさらにエロを競うようになっていきました。第二次世界大戦後、半公認の売春エリアである赤線青線地域でかつての遊郭や新規業者がカフェーという名目で営業を始めました。またもやカフェーという名前に性的な要素が加わっていき、それまでのカフェーはバーやクラブに改称していきました。ちなみに関西のほうでは遊郭がカフェーではなく、料亭と称して営業を始めたようです。カフェーの歴史は健全なものからより性的なものへと変化していく歴史だったようです。

昭和初期、女給がメインコンテンツになったカフェーのなかにカフェ・タイガーという店がありました。この店は女給の人気投票があり、ビール一本頼むと投票券一枚もらえました。菊池寛はお気に入りの女給に投票するために150本もビールを購入し、飲みきれないので車で持ち帰るという事件を起こしています。この店は、永井荷風が通っていた店で、荷風は『つゆのあとさき』というカフェーを舞台にした小説を書いています。カフェーの女給と文学の組み合わせでは、他にも林芙美子はカフェーに勤めていた経験を『放浪記』に記しているし、織田作之助の「夫婦善哉」の舞台の一つはカフェーですし、谷崎潤一郎「痴人の愛」のナオミはカフェーの女給という設定になっています。

カフェーのサービスが過激化する前の明治30代、40年代は現在のコンカフェに近い形態であったようです。やはり、チップ制を取り入れたために生活の苦しい女給たちはできるだけ客に来てほしいので、サービスが過剰になっていきました。今のコンカフェはドリンク1杯飲ませるとキャストに100円入るというようにかなりバックは安いですが、歩合制の割合を高めると昔のカフェーの歴史を見る限り、過剰サービスしたり客と繋がりやすくなってしまうので、基本給を保証した上で、バックはそれくらいでいいのかもしれません。

今は一部コンカフェでエロいサービスを取り入れる動きが出ていますが、それだとただの歴史の繰り返しにすぎないし、面白くないと思います。そういう安易な方向にいかないで、今の時代はSNSもあり、ネットもあるのだから、そういうツールを活かして健全なままでサービスを差別化して運営していってもらいたいです。エロを求めるなら別の業態の店に行けばいいわけですし。

昭和初期にカフェーが様々な小説の舞台として登場しました。しかし、今のコンカフェが小説の舞台になったという話は少なくとも僕は聞いたことありません。まだ有名な作品でコンカフェを取り上げられた例はないようです。コンカフェのキャストも客もライトノベルとか書きそうなのに…理由としては簡単で、コンカフェという言葉が世間に浸透してないからだと思います。メイドカフェという言葉は浸透しているのでメイドカフェが漫画や小説に登場している例はたくさんあります。ちなみに同じように読書会という言葉が世間に浸透してないために、読書会が舞台の小説は日本では書かれていません。海外では『ジェイン・オースティンの読書会 』『ガーンジー島の読書会の秘密』という映画が公開されるくらい読書会が浸透していますので、読書会が舞台の小説もあります。

これからコンカフェという言葉が社会に浸透していけば、コンカフェを舞台にした小説も量産されることでしょう。私も異世界物のコンカフェ小説を書こうかなと思っています。





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