カードは気づきを与えるもの
オラクルカードは、持っている
神社巡りが好きなので数年前に一番最初に買ったカードが「日本の神様カード」。続いて「日本の神託カード」も購入し、日々日本の神々からメッセージをいただいたり、元気をもらったり、これから行く神社の目安にしたり、加えてそれぞれの神様のお役目などの勉強をさせてもらっている。
続いて、個人的に好きなのは、人物が描かれたカードより動物や自然をテーマにして描かれたカード。
「太陽と月の魔女カード」はイラストが可愛かったので衝動買い。
気を取り直して タロットカード
タロットカードの方は、実を言うと初めて買ったのは確か中学生の頃だったと思う。
「占い、面白そう」と思い、やってみたくて買ったんだけど、確かクラシックなタイプの絵柄のタロットカードだったと記憶している。絵が怖くてね、買ったはいいけどイマイチ乗り切れず。占い方も誰にも教わらず、見よう見まねで始めたはいいものの、当然のことながらできるわけはなく。カードの枚数も多いし、絵が怖いから勉強したくないし訳わからんし。こんな怖いカードはやめようとだいぶ前に捨ててしまったのよ。
今思うともったいない。初期の頃のタロットカードだったので、今から同じものを買おうとしても入手できない。
パッケージの色は黄色だった。調べてみたけど、現在そのパッケージで売られているのはなさそう。だけど、先日行った「東京タロット美術館」には同じものが陳列されていた。あ、そうそう、これこれ、わたしが買ったタロットカードはこれだった!と見つけた時は妙に懐かしく、と同時に、やはりやる羽目になったかとも思った。でもなぜ今頃になって?
オラクルカードは、絵柄を見てある程度読み手の感覚に任せられる。インスピレーションに従って自由に解釈ができるけど、タロットカードの方はカード一枚一枚に決まった意味がある。カードに束縛を感じていた。
そして、子どもの時は鬱陶しかったそのカードに込められた意味も、この年になってはじめて興味深いものに変わってきた。カードに込められている意味を理解する。これって、日々私たちの目の前に現される現実とリンクしてないか知らん。
嫌なやつと会う。職場で相性の悪い人がいる。日々鬱陶しい。嫌だと思う。そこから逃げ出したくなる。辞めて新しい職場に行ったとする。でもまたそこで嫌なやつと会う。前の職場と同じじゃん。なぜ毎度毎度こんな目に遭う?
そこで気づく。自分が嫌だと感じるものに意識を向ければ向けるほど、そこから逃げられないことに。
そして相手は自分の鏡。よく言われることだけどその真意は?
自分の奥底に、自分でも気づかない嫌なところが目の前に「人」となって現れる。相手は自分。同じところがあるからこそ、同じ「場所」に立ち現れる。それが気づき。
気づけば、これからどうすればいいか道標が見えてくる。
他人は変えられない。自分を変えていけばその呪縛から逃れられる。
今参考にしているタロットカードの動画がある。タロットの真髄をわかりやすく説明されているのに加え、個人的にこの先生の雑談にツボっている。
今は無料講座を拝聴しているところだけど、全部見終わったら有料でもっと深いところを勉強してみようと思う。
そんなこんなで先日初めてに近い形でタロットカードを買った。未だ怖いイメージが払拭できないベーシックなものは後回しにして、まずは可愛いもの、自分らしいものを選んだ。
二つ目は「太陽と月のタロットカード」。
カードは気づきを促す
わたしがカードをちゃんと読めるようになっても占い師にはならないと思う。AかBかを悩んでいる人に対して他人のわたしがどちらかを決めるのは少し違う気がするし、占い自体わたし向きではない。もしカードと言うものが占いだけに特化したものだったらわたしは鼻っから手をつけなかった。
上に紹介した和泉先生もおっしゃっていますが、オラクルカードやタロットカードは道を決定づけるものではなく、今の状況に気づきを与えるもの。人から道を決められたらずっとその人は依存体質から抜けられない。自分の道は自分で決める。その道標を与える手段のひとつがカード。わたしも今までオラクルカードでいろんな道標をもらってきた。タロットカードでもそれをやっていけたらと思う。
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