散歩

外出自粛が続くなか、そうはいってもすこしは運動して、陽の光も浴びて、という親心から「お散歩行こうか」と尋ねたところ、娘たちにすげなく断られた。

「うん、明日ね」

おまえは気まぐれな彼女か。

そもそも散歩は「明日」に延期するようなものだろうか。
辞書によれば散歩とは「特別の目的をもたずに、気の向くままに歩くこと」だそう。運動が目的ならウォーキングになるのか。そういえばウォーキングデッド、最新シーズンをちっとも追いかけていない。あの番組を一気見するとなるとそれはやはりウォーキングデッドマラソンと称するのだろうか。

ウィキペディアの「散歩」の項目には「アリストテレスは弟子たちと散歩しつつ語らうことを好んだ」とある。歩いているうちになにか思いつくという経験はだれにでもありそうで、僕も通勤のため歩いている最中に思考がぎゅんぎゅんと動くことはしばしば。アリストテレスの弟子たちはきっと「おい、散歩行こうか」と誘われ「うん、明日ね」とは言わなかっただろう。いや、べつに子の反応を恨んでいるわけではない。

散歩の語源については、「中国の三国時代に五石散(今でいうところのドラッグ)が貴族や文化人の間で滋養強壮薬として流行した」という不穏な記述が冒頭に置かれていて、先を読むより前にその五石散とやらをクリックしたくなる。「今でいうところのドラッグ」とあるが、「滋養強壮薬」ならば「今でいうところのエナジードリンク」とか「ちょっと昔でいうところの養命酒」的なポジションじゃないのか。

五石散を服用すると皮膚が敏感になり、体が温まってくる。これを「散発」と呼び、散発が起こらずに薬が内にこもったままだと中毒を起こして死ぬとされた。怖い。なので散発を維持する為に絶えず歩き回らなければならず、これを「行散」と呼んだ。五石散を服用した状態で歩き回る様を呼んで「散歩」の語源となったとされている。なお、五石散の中毒によって死んだ者は心臓が停まった後もおよそ一日のあいだ歩き回りつづけ、これをウォーキングデッドと呼んだ、というのは嘘である。えーと、語源のところまでが本当です。本当というか、ウィキさんによれば。

別のところで書かれていることによれば、「プロムナード」という言葉に「散歩」の文字をあてたのは勝海舟だそう。ああ、その勝海舟はあれですね、武田鉄矢のイメージでいけますね。『龍馬伝』。左遷された勝海舟は暇にあかして江戸を散歩して、市井の人々とまじわり、それが結果として江戸城無血開城に至ったそうです。

武田といえば、じゃなくて散歩といえば、武田泰淳の『目まいのする散歩』という本が僕は好きで、だけどもう長らく読み返していないので、そろそろ(何度目かの)再読をしてみてもいいかもしれない。『目まいのする散歩』は、こんな文章で結ばれている。

地球上には、安全を保証された散歩など、どこにもない。ただ、安全そうな場所へ、安全らしき場所からふらふらと足を運ぶにすぎない。

安全そうな場所へ、安全らしき場所からふらふらと足を運ぶにすぎない――。

ここ最近の心情に寄り添うような一文で、なんだかひやりとした。

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