実家に帰るバスの中で思い出話。

 
お父さんのことを気が済むまで、
きっとこれを書いてスッキリするか
また悲しくなってしまうのか
わからないけど
思うままに書いてみる。
 
 
わたしのお父さんは59歳で、10月に亡くなりました。
 
癌でした。
 
癌ってドラマや映画や本の世界のもので、
本当にある病気だけど自分たちには縁がない物だとずっと思ってたけど、まさか自分のお父さんが
癌で亡くなるなんて今でも考えられない。
 
悲しいは悲しい。
けど、本当に死んでしまったのか
わかってるようで、よくわからない。
 
時々、あぁもう実家に帰っても会えないんだ、とか
電話しても話せないんだ、とか、
もうお父さんの写真は撮れないんだ、とか
思い出して悲しくなることは沢山ある。
 
たくさんまだまだ一緒にいたかったし、話したかったし、怒られたかったし、いろんなことをしたかった。
 
でも全部、もうできないんだよなぁと思うたびに
涙が出てくる。
現に今も涙がこぼれそう。
 
わたしのお父さんはすごく無口で
よくわからない人だった。
お父さんは小さい頃に両親が離婚して
お父さんは長男だったから、自分がお父さんがわりになっていたことをお母さんから聞いた。
だから、昔から我慢することが多かったんじゃないかな とお母さんから聞いて小さいながらも
お父さんすごいなぁ。かわいそうだなぁ。と思ってた。
 
わたしから見たお父さんは
無口だけど優しい。
特にわたしに対しては優しい。
けど、怒ると怖い。叩かれたり家から放り出されたりしたことも多々ある。
短気で怒りっぽい。
計画性があって、すごく責任感が強い。
何か作ったり、買ったり、とても凝り性で一生懸命で丁寧。
 
いつもお父さんの車で出かける時は助手席に乗って
立ち寄るコンビニでお父さんはタバコとコーヒーを買う。わたしもそこに、待ってました!と言わんばかりに、わたしにも買って!とついて行って買ってもらうのが好きだった。
たまにミニストップに寄った時は、
ソフトクリームを買ってもらった。
お母さんは絶対に、もったいないからだめ!って言われるけど、お父さんは一切そんなこと言わずにわたしのわがままをいつも叶えてくれた。
お母さんから、また無駄遣いして…わたしには買ってくれないのに、あゆみには買うんだよ!ケチだよねぇ〜と小言を言われながら。
 
たまーに、お父さんと二人で出かけた時は
思う存分に、甘えられた。
お母さんに言うと、また怒られるから内緒な。って
二人で内緒で食べたこともあったなあ。
 
お父さんはスキーがとてもうまい。
一人でも行ってしまうくらい好きだった。
 
だから小さい頃はよく行ってて、
スキー場でのお父さんはいつものお父さんよりも
倍優しくてなんかすきだった。
 
でもだんだん大きくなると
寒いところが苦手になっていって
一緒に行くことも少なくなっていった。
 
それでもお父さんが一人で行っている姿を見て
なんかかわいそうで2.3年に一回くらいは
一緒に行った。
 
今になってみると、一緒に行ってよかったなあと思う。
 
スキー場でもわたしのアホさは全開で、
たくさん思い出して笑える出来事がある。
 
1番頂上まで行ったはいいけど、こんなところ滑れないと怖くて泣いてお父さんにおぶってもらって下まで行ったこともあるし、ソリのようにお尻を引きずりながら降りたこともある。
 
リフトに乗ってるときに何かを落としてしまって
お父さんが雪に埋もれながら取りに行ってくれたこともあるし、
リフトで降りる時に、降りれなくて止めてもらうこともたくさんあった。
そんな失敗をたくさんしてたから
子供ながら嫌になってしまったのかなあ。
 
お父さんは運動神経がいいってことを
亡くなってから知った。
だからあんなにスキーも上手で、
運動神経が悪いわたしは
スキーが好きになれなかったのかもしれない…
 
スキーは好きではないけど
また好きな人と行きたいなぁと思う。
 
あとはもう一つ好きになれたらよかったなぁと思うことは野球。
お父さんはとても上手だったらしい。
小さい頃、弟と3人でキャッチボールをした。
私がキャッチボールをしたいとお父さんに言うと、張り切って、グローブを買ってくれた。
これまた、お母さんに呆れられながら。
だけどこれもまた、長くは続かなかった。
 
お父さんのようにうまくボールが投げられない。
遠くまでボールが投げられなくて、
またもや、運動神経が悪いわたしは挫折した。
弟も私と同じで、徐々にやらなくなってしまった…
 
一緒にキャッチボールをやったときのお父さんはとてもイキイキしていた。
すごく鮮明に覚えているわけではないけど
いつも何も言わないお父さんが
すごく張り切っていて楽しそうだった記憶がある。
だからこそ、好きになれたらお父さんの楽しそうな姿が見れたのかなぁと思う。
残念だけど、しょうがない…
 
お父さんはとても作業着が似合う。
わたしもそう思っていたけど
お母さんもそう思っていたみたい。
 
唯一、何年か前に作業着のお父さんの写真を撮れたのは今でも宝物。
あの時は、本当に偶然だった。
わたしがフィルムカメラにハマり出したときに、
お父さんが昔仕事で使っていたフィルムカメラをくれた。フィルムを入れて試し撮りでお父さんとお互いに撮りあいっこをしたあの写真はとても好き。
 
いまもお父さんからもらったフィルムカメラは
だいすきで、使っている。
この前、昔のデジタルカメラもくれた。
今のデジタルカメラのように綺麗なうつりではなくて、どちらかと言えばフィルムのような粗いうつりだけれど、それがまたすきで、これも長く付き合いたいと思うカメラ。
うれしいなぁ。
 
そんなことを書いてたら
もう1時間も経っていた。
ちょうど1時間。すごい。夢中になっていた。
 
お父さんのことはまだまだたくさん思い出したいし、書きたい。
 
だからまた、書きますきっと。
 
そしてお母さんのことも弟のことも。

 
友達のことも。
 
職場の人のことも。
 
出会った優しい人たちのことを。
 
 
それと自分のことも。
 
 
最近の出会った曲で
あなたがいたから、わたしがいるのよ
わたしがいたから、あなたがいるのよ
それだけは混じりっけない事実 事実だから
って曲がある。
 
 
お父さんが亡くなってから
お父さんがいた世界といない世界が
何にも変わらないから、当たり前なのだけど、
だから本当にお父さんっていたっけ?
って思うことがあって。
でもこの曲を聴くと
今わたしがいることは、ちゃんとお父さんがいた証だなって思えた。
 
お父さんの分までなんて、
たいそうなことはできないけど
お父さんが大切にしてくれた私のことを
今度は自分で大切にしたいし、
お父さんが大切にしてくれた家族や家やものや人たちを私が大切にしていきたいし、
わたしも仕事をもっと一生懸命頑張りたい。
 
お父さんの棺桶の中に手紙を入れた。
あっちの世界でも、私たちのことは忘れないでいて欲しいなってすごくわがままに思います。
 
 
 
 

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