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還暦のわしがインドに呼ばれて来たんだけど Vol.11

12月になりました
皆さんはいかがお過ごしでしょうか
リシケシも16日目になり、朝晩がめっきり寒くなってきました

朝のヨガは正直寒い

朝6時半からのヨガ、午後3時半からのヨガと瞑想に
毎日出ている自分が奇跡です
ラジオ体操でさえほぼブッチしたオレが毎回出るのですから

10日以上毎日2回のヨガを続けての感想ですが

当然ですが、身体が柔らかくなった
気持ちが穏やかになった。頭が冴えて来た
良い睡眠がとれる。朝、息子さんが元気

などなど、良いことばかり。
なにしろヨガの源流は紀元前3000年〜5000年に遡る
らしいので、良くない訳はないですね
ただ、瞑想は妄想ばかりが浮かんでいまだに苦しい

呼ばれるまでこなかったインド
来たからには呼ばれた理由を見つけようと焦っていた自分が
います
雷に打たれたようなスピリチュアルな体験をするとか、ひとかわむけるとか
ガツンと一発でオレは変わった。浮くぜオレ

みたいな事はなく毎日、自分の価値観を見つめているといった
感じです

例えば、午後のヨガが終わり、お昼ご飯はヨガを終えてから
にしていたので、お腹とせなかがくっついて鶴太郎になりました

アシュラムの食堂で食券を買おうと並んで待っていました
自分の番になり、100ルピー(200円)の定食を頼もうとすると、

後ろから、身なりのちゃんとした30代くらいのしゃべれば偉そうな
こと言うんだろうな

な感じの男性が平気で前に割り込んで注文をするのです

反射的にイラっとしてしまいました

なぜ
「お腹が空いて我慢できないんだね。どうぞ頼みなさい」
「お礼なんていいよ」

と反射的に思えなかったのだろうか

などと真剣に考えようかと思ったりします
(もちろん食事を受け取ったら、つまずいてこけるようシバ神に願いました)

ターリ(定食)100ルピー
ここで注文します

リシケシの至る所に博愛,慈悲みたいなことが書いてあります
いわゆる生き方を学ぶアシュラムが沢山あり、多くのインド人が
訪れています

しかし、列に並んでも我先に割り込む、譲ってもにゃんともいわない
隙あればボッタくる、どこもゴミだらけ

一方で数多くいる物乞いの表情は悲壮ではなく、野良犬、野良牛も
穏やかで、ワンコは物乞いのそばで安らかに眠っている

見なりは布をまとい裸足だが、大久保で身体を売っている少女や
それを買う大人とどちらが心は安らかなんだろうかと
思ったりします

わんこも穏やか

ヨーガの哲学では、身体も心も自分ではなく自分はそれを眺めているだけ
と教えるそうです。つまり、身体が心が傷ついても自分はそれを観察して
いるだけなので傷つくことはない

日本の社会で誰かの価値観で生きて来た我々が満たされないことで苦しく
なるのとはかなり違います

こう言う考え方を取り入れると、偏った欲望が得られないことによる
苦しみから解放されるかもしれませんね

インドは聖と俗のごっちゃ混ぜのカレー鍋。確かに価値観と言う日本の
物差しは全く役にたちません

さて、お散歩に行って参ります

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