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HSPだからこそ、今伝えたいことがあった

記事を書いてから、
しばらくnoteを更新できない期間があった。

それは異動をきっかけに自分の中で新しい仕事が始まったからとも言えるが、
本当の理由は自分が本当に何を伝えたいのかがわからなくなったからだ。

最初はADHDやHSPであることに、
不安を感じている人へ「社会でもこんな素敵な素質が生きると私は思ってます!」というメッセージを伝えたかった。

でもそれがいつか、
「自分辛い自慢」や「自分に言い聞かせている言葉」に見えて、
何のためにこの気持ちを言葉にすることが分からなくなっていったのだ。

私はこの世の中で全人類が発信できるようになったいまだからこそ、
言葉にするからには、その言葉に責任を取らないといけないと思っている。

これはただの私のこだわりなのだが、
言葉にするからにはただのつぶやきではなく、メッセージを持たないといけないと思っているのだ。
(少なくとも自分は日常の言葉にも敬意を払う人間でありたい)

だから、改めて私がこの思いを言葉にしたいと思っていた本当の意味を考えた。
その結果、あることにたどり着いた。

それは今は亡き大切な人へ、
この言葉を送りたいと思っていたからだった。

その大切な人は、非常に心優しく、
多くのことに気づける人だった。

誰よりも手先が器用で、
庵野秀明展を見た時に見た軍艦のモデルがまさにその人が作ったもののように感じられるほど、細かい作業が得意な人だった。

優しく、温かく、賢く、穏やかだった。
そして、当時の世の中は厳しかった。

大切な人を失った時、
私はこの世に人の代わりはいないということを知った。
取り返しのつかないことはこの世にあるのだと知った。

HSPという概念を知った時、自分がその人間であると思ったと同時に、
私の大切な人もまた同じ特性であっただろうということに気づいた。

それを知っていれば、
どんなにも心が楽になっただろう。
5人に1人が悩んでいると知れば、
どんなにも安心できただろう。

私はこのことを伝えたかった。

そして私は多分、5年経ったいまでも、
大切な人に戻ってきてほしいと、
こんなにも繊細であることは素晴らしいことだと伝えたいと思っている。

だからこの文章は、
届かない過去に向けて書く手紙だ

私が、知って欲しかった大切さを伝える手紙だ。

この言葉をいつかは消すかも知れないし、
未来どうなるかはわからないが、
心から溢れる言葉を、
繊細であることに喜びと安心、嬉しさを覚えられるような言葉を、
これから紡ぎたいと思っている。

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