空想日記3/13

3人目の記憶

彼女がこの街を去ったのは十余年前のことだ。私が夜を知った頃だった。あの頃は色めく雑踏も、生温い外気も、滲んだ街灯も、息づくものは全部彼女の為にあった。その様は牡丹のように高貴で、私の心を惹き付けた。でも、この街の全てを持っていたその紅色は、ある日忽然と姿を消した。

彼女を失った後の街はどこか虚ろだった。一頻り大声で笑ったあと、必ず遠くを見てその表情には陰が射していた。それが許せなくて、私が代わりにって躍起になればなるほど、私には無理だって知るばかりだった。段々と彼女への憧れは憎しみになってたのかもね。ある時私は仕事を辞めた。それでもこの街に留まったのは、いつか彼女が帰って来てくれるんじゃないかって、なんとなく、それとなく求めてしまっている自分がいたからだと思う。

日が顔を出さなくなって幾日か経った。

その日は一層寒くて、窓の隙間から流れ込んだ冷気が体にまとわりついて動く気力を削いできた。私は恨みがましく窓の外を睨みつけることしかできなかった。

ふと、冷気が止んだ気がした。むせ返るような生温かさを感じた。外の様子が何かおかしい。直感じみたものを感じて私は外へ転がり出した。

滲んだ赤信号の光の果て、渦巻く紫煙の先に彼女は立っていた。

「帰ってきたんだ…」
私は夢中で駆け出した。どこかで落とした大事な何かを拾い上げるために。

切れかけていたネオンが再び光りだした。陰を追いやって輝く街は凱歌を歌っていた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?