空想日記2/17

幼少期、後で食べようと思って残しておいたケーキのイチゴをおばあちゃんに食べられ泣きわめいた事があった。今思い返しても、あそこまで泣くほどのことだったのか疑問だし、自分でもやりすぎだったなって記憶。ビルの屋上にあった松岡修造の看板を見て、そんな事を思い出した。

「修造もこの角度で見るとなんか悲しそうやな」
「そう言えば僕たち修造のこと全く知らないですよね」

例えば、写真を撮る前にお気に入りの靴の紐が切れたのかもしれない。水筒の蓋が空いててカバンがびしょ濡れになったのかもしれない。パンスト相撲で息子に負けたのかもしれない。考えてみても結局想像に過ぎなくて、本当の理由は分からない。

でも、修造は確かに苦しんでいたんだと思う。それだけはわかる。僕らからしたら些細なことかもしれない。それでも修造は苦しいって感じてたんだ。

なら、それが全てじゃないだろうか。

パンスト相撲で負けたからなんだって思うかもしれない。けど修造にとっては悲しい出来事だったんだ。おばあちゃんにイチゴを食べられた事を、泣きわめくほど苦しいと感じてしまったんだ。他人と比べてどうとかじゃない。自分がそのとき苦しいと感じたなら、その感情は否定されるべきものじゃない。もっと大事にしてもいいんじゃないかなって思う。

🍊

あと丸亀製麺でご飯だけ頼むやつは意味がわからん。敬具。

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