空想日記2/5

布を見たい。どれだけ引っ張っても破れない布を。
布を見たい。どんな熱にも耐える布を。
布を見たい。すべての不義を包み込める布を。
布を見たい。冷えきった彼にかかる布を。
布を見たい。誰かが捨てていったものでいいから。

起床。ハルクバスターのモーニングコールで起こされることが日課になりつつある。起こすときは意外と優しいのが玉に瑕だ。ハルクと言えば緑だが、緑と言えばブルーオーシャン。未開拓、フロンティア、ゴールドラッシュを思い出す。
「ゴールドラッシュって意外とパチンコに無いよね」
「確かに、あの頃は良かったなあ。CDSに歯止めが無かった」
おじいちゃんがいた事に衝撃を受けた。同時におじいちゃんが後妻であることが発覚し困惑した母は角煮を焼いた。美味しかった。

チャーシューとウインナーの違いは腸に詰めるか詰めないか。これは孟子の言葉では無いが、孟子の考え方には現代に通ずるものがある。例えば、プリクラをとるとき割り勘をするだろう。これは孟子の教えで言うところの「申し訳ないんで4分の1だけ出しますよ」のやつだ。値上がりしてから割り勘しづらくなったのは杜甫の教えだったはず。孟浩然かも。李白では絶対にない。あいつは靴下を裏返さずに洗濯機に入れるんだもの。

夜に葬式があった。誰のものかは分からなかった。でも確かに言えるのは誰かが死んだってことだった。小さい頃は縁遠い話。少し大きくなって近くなる。大きくなったころに慣れてしまって、また小さくなる頃には近すぎて考えなくなる。だったらもう、修羅場に行くことに躊躇いは無いんじゃないだろうか。そんなことを考えながら立ちションして帰った。タバコの煙が月を霞ませて、それでも良いよと笑っていた。

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