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ゲーマー母ちゃんの歴史1~小学校時代~

note4日目。ふとnoteを開けたら、54って数字が目に入った。お題ってやつだ。私には関係ないね~って思ってたら、飛び込んできたこの言葉。

#自己紹介をゲームで語る

よっしゃ、せっかくだからチャレンジだ~。
エピソードを思い浮かべて・・・タイトルを決めました。
項目を先に入力していたら、めっちゃ長そうなので、まだ書き終えてないのに、続編決定。初回は小学校までの思い出を語ります。ちなみに、私は40代半ばでーす。写真って貼っていいのかわからないので、テキストのみですすめます。わかってくれた人がいたら💛スキ💛待ってます!

はじめてのファミコン

いとこの家でプレイしたのが最初。
四角ボタン!(←結構初期でしょ!!)

🎾テニス🎾

打ち返せず、ボールがよく太ももに当たって、ちょっと可哀そうに思えた。あと、「しゃべった」~って!白黒マリオみたいな審判がカワイク「デュース」ってね!私と弟、いとこの兄弟と対決して、絶対勝てなかったけど、いい思い出だね。

🏎F-1レース🏎

たまに頭の中でBGMが流れる。イントロから歌うね、未だに。この間ダンナちゃんと一緒にメロディを口ずさんで爆笑してた。確かHiとLowの2速しかなくて、タイミングを間違うと減速する。気持ちはアクセル踏んでるのに、ブレーキ踏んでた、ってこともしばしば。3面のクネクネしている難しそうな面を涼しそうにレースをしていた、いとこの兄ちゃんをマジ尊敬してました。

我が家にファミコンがやってきた

ファミコンの発売の年。我が家は結構な田舎。なんと近所のスーパーにクリスマス、限定10台の整理券が!

絶対欲しい!とねだった弟。
まぁ、クリスマスだし、並んでみようかってことになって、母と弟で出かけて行った。

そして・・・

見事、ファミコンゲット!!

よく買えたねぇ~って言ったら、あまりにも弟がギャン泣きし過ぎて、見るに見かねたお兄さんが整理券を譲ってくれたんですって。そりゃ、幼稚園だったし、号泣なのはわかるけど…。お兄さん、申し訳ない…と思いながらも、いとこの家に行かないとできなかったファミコンがやってきた!
たぶん小学校2年くらい。

最初のゲームは、「アイスクライマー」
あの音楽は胸躍る。
そしてシロクマさんのドスンには泣かされた。弟がガンガンいって、よく強制スクロールでやられちゃってたなぁ。

さすがにゲーム1本だけで寂しかったので、お年玉で「マリオ」を買った。
ゲームウォッチにもいたよね?(←うろ覚え)

あのファイアーボールはどうなの?と思ったけど、カニさんをやっつけるのに、わざとピンクにして、松田聖子の「♪ピンクのモーツァルト~」なんていってたなぁ。今にして思えば、なんでだろ?

ファミリートレーナーがやってきた!

風雲たけし城が流行っていたからか、何の影響かわからなかったけど、弟がファミリートレーナーが欲しいとおねだりした。
画期的だったよね。体感ゲームって。冬でも、汗びっしょ。
2階でやってたから、たまにお母さんに怒られることもあったっけ。

ファミリートレーナーといったら、私には忘れられない思い出がある。
隣に祖父母が住んでいて、私と弟がファミリートレーナーで遊んでいたら、おばあちゃんが現れた。
せっかくだから、おばあちゃん、やってみなよ~って声かけて、おばあちゃん、アスレチック初チャレンジ。
最初はわからないといっておきながら、ノリノリでダッシュしまくる。
頑張りすぎて、ベリって。
・・・ズボンのお尻のところが破けたww
私と弟が大爆笑していても、おばあちゃんは熱中!
今度はなんと「鼻血」
横になりながら、「私はもうダメだぁ」って。
さっきまでめちゃくちゃ走っていたのに。本人は真顔。
母が買い物から帰ってきて、何してるの~?!ってビックリしてたけど。
おばあちゃんは、その後軽く20年は元気だった。いい思い出だ。

我が家にロボットがやってきた

ファミコンのロボット、ブロックシリーズ。
これ、結構レアでしょ~。

親戚のおじさんが、パチンコで儲けただかなんだかで、ホームセンターかどこかにいったら、すごい値引きだったみたいで、プレゼントに持ってきてくれた。

ピカピカ画面が光って、マリオか何かのキャラ動かして、動きをつくって、再生すると、ロボットが受信して動くという代物。ブロックを左側から右側に移して落とす、みたいな。今思えばプログラミング的な遊びだったんだろうな。

ある時、弟と一生懸命、長くプログラムして、いざロボットを動かしていたら、妹がやってきて、風船を部屋で追いかけっこしてくれて、テレビとロボットの間を遮った。私と弟の挑戦は、失敗に終わった。妹は小さかったから、しょうがないとわかっていても、悲しかったんだろうな。

我が家にMSXがやってきた

弟が3年生位、私が6年生くらいの時。
3駅先にホームセンター「ダイクマ」がオープン。
そのオープンに電波で飛ばすMSXとゲームカートリッジ3本付で1万円とかそんな売り出しだった。
案の定、弟はほしいと大騒ぎ。
家族でそのホームセンターへ行った。
整理券は配られていなかったが、開店前、すでに列はできていた。
30分位して、開店。今度は買えないだろうなと、あきらめていたのに、今回もMSXをゲット!!
弟は、まだ小さかったから、大人をかいくぐり、一目散に探し回ってゲットできた。
というわけで、我が家にMSXがやってきた。MSX2ではなく、カシオから出ていたMSX。コードレス?だったので(キーボードに変な青い丸がついていた)トラックが近くを通れば、テレビは画面が乱れ、保存はカセットテープ使用だった。(←本を読み、勉強して、レコーダーも買ったんだと思う。弟は続きをやるために必死にいじくっていた。)
ゲーム自体は謎解きとか、結構残念な売れ残り的なゲームだった。私は難しそうなので、早々にあきらめた。

が、箱の中に入ってた説明書っぽいものがあり、意味がわからないまま英語っぽいものをその通りに入力してみたら、テレビに色のついた円が出た!
はじめてのBASIC、面白い!って思った。そこから、色を変えたり、円の大きさを変更して遊んでいた。本の最後に、スキーゲームも載っていたんだけど、どんなにがんばっても、Syntax Error!は回避できず、画面は表示できたんだけど、どこか動かなくて残念だった。でも、この体験が、後々の私に少なからず影響があったと思われる。

授業参観にて・・・

5年生か、6年生か忘れちゃったけど、授業参観があった。
「将来の夢」というので、事前にアンケートで紙に書いて提出していて、先生が大きく書いたものを、貼っていって、保護者の前で発表していく感じだった。

忘れられない。
私が大真面目に発表した時に、クラスメイトも、親も、どよめいた。

「ファミコンショップの店員」

うちの母親は、苦笑いしているように見えた。
先生は、全然気にしていなかったが、とにかく、「あら、いいわねぇ」「すごいねぇ」の反応が全然なく、むしろ「え?」みたいな空気がでて、私、イケないこといったのかな?ってめちゃくちゃ気持ちがザワザワした。この時に、私は、発表していいことと、あまりよくないことがあるのでは、と思った。

残念な時もあったけど、楽しかった友だちとの遊び

私は転校生で、なかなか友達ができなかったけど、高学年になって、ようやく少しづつ友達ができてきた。ある時、ファミコンを一緒にやろうと声をかけられて、喜んで遊びに行った。
遊びに行ったら、「ポートピア殺人事件」の最後のヤマ場。ファミ通で高評価されていたあのポートピアができる、と思ってたのに、まさかのネタバレのみ見たという…。

別の日。今度はドラクエやろう!って声かけられたので、今度こそやらせてもらえるかな、と同じ友だちの家にいったら、最後の竜王の城だった。
光を取り戻したよね。うん、いい話だったんだよね。きっと…。

当時、ゲーマー女子は珍しかったので、他の子たちはカワイイイラストを描いているさなか、その友達とは、ドラクエキャラをアレンジした図鑑みたいに書いて、交換日記をしていた。で、昼休みに、人があまりいないピロティにいって、ノートを広げながら、考えたモンスターを解説しながらゲラゲラ笑ってた。

当時を思い出して、ペイントで描いてみました。まさかのこういう時にタッチ対応のノートパソコンが役に立つとは!なかなか味があるではないか。
スライムに、金髪が乗っていて、ジョンとか、そんな名前で、とにかく明るいモンスター設定にしてたかな。あとは、ドラキーとグレムリンをくっつけたようなオリジナルモンスターとか覚えてる。必殺技は、写真撮りまくって、フラッシュで見えなくしている間に逃げていくみたいな。

スライム


あれからもう30年。
ドラクエも30年。

今も、私はゲーム大好きです。そこまでガチではないけど、やってない人からしたら、相当やっているように思われてます。こうして、書いてみて、こんなにゲーム好きだったのかと改めて驚いています。

近々、第2弾の中学生編を書こうと思います。

読んで頂いてありがとうございます!
「わかる~」っていう方がいたらいいな!



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