ChatAIの「不安」と「可能性」

下のYouTube動画の22:20あたりを見てほしい

やはり思うのは、テレビや新聞といった旧世代的なメディアは、不安を煽る方向の話が多いように思う。これは何故なんだろう。マスに向ける情報となると、具体性が落ち、なんとなく不安を煽るようになるのか。それとも古くからの「習慣」なのか。

不安と可能性の話に戻る。
やはり個人的には、可能性を見出す方向に思考を進めるべきであると思う。核爆弾が生まれるかもしれないからといって、量子の研究を進めないわけにもいかないだろう。取り返しがつかないことなんてのは本当にレアケースであると思う。

AIの急速な発展を危惧した署名活動も行われている。
しかしこれは「取り返しがつかない」というのを口実にした、政治的運動だと多くの人が発言していた。OpenAIの独占を崩すための口実だ。
結局競争社会にある以上、誰かが危惧して辞めても、他の誰かがその技術を進めてしまう。

そもそもイーロン・マスクがOpenAIに投資した理由は、ビックテックにAIを独占させないためであったのにも関わらず、こんなことを言っているのはあまりに筋が通っていない。

結論、不安はあまり考えず、可能性を追求するべきだ。少なくとも日本には生活保護がある。未来のことは誰にも分からないのだから楽しく考えていこう



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