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『もしもし、こちら弱いい派ーかそけき声を聴くためにー』を観た人間の囁き

 2021年7月22日17時の回を観劇させていただきました。やさしく、誰も傷つけないような演劇に対する評価の高まりを感じました(以下ネタバレを含みます)。
 芸劇eyesという、様々な劇団をショーケース形式(一回で全部の団体が芝居をする、回替わりではない)で観ることができる企画の番外編、という今回。特に若い才能を発掘することも目的だったそうで、どの団体さんも、役者さんも若い方が多いね、という声が客席でも聞こえました。

公演HP


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~今回の企画について~
小さな水紋があちこちで自然発生するように、変化は複数の場所で
ほとんど同時に起きました。
「弱さ」への評価です。
勝った人が正しいという価値観のもと、強く、そのためには早く、大きく、多くと突き進んできたほころびが可視化されたこの10年、
それとは異なるものへの気付きが広がっています。
演劇でも数年前から「弱さ」の肯定を含んだ流れが生まれています。
「弱さ=可哀想」ではなく、余白や愛嬌、知恵やしたたかさを味方に付けた表現を「弱いい派」と名付け、3団体を選びました。
彼や彼女の声に、目を凝らし、耳を傾けてみてください。

徳永京子(企画コーディネーター)
東京芸術劇場HPより引用

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 まず、一つ目のいいへんじ『薬をもらいにいく薬(序章)』。
 ストーリーとしては、外に出るのがちょっとしんどい女性が、薬も切らしてしまい、どうしたものかと思っていたところを、第三者の力を借りて外に出られるかも…?と思うまでの小さなすったもんだです。
 あまりマジョリティやマイノリティという言葉を使いたくはないのですが(色々な意味が内包されてしまうため)、単なる数量としてのマジョリティからすると、そのすったもんだは特に取り上げたところで共感もなければ、むしろ反感すら買ってしまうかもしれません。「そんな、しんどいことなんて私にもある。甘えてる。」なんて。でも、この作品は、そんな声すら包もうとしているように見えました。そんな、我慢を強いるようなことはどうか言わないで欲しい。そして、あなたもしんどいならがんばらないで、甘えたり、休んだり、頼ったりしていいんだよ。
 直接言うよりも、無理に押し付けず、こうやって観る人間の気持ちを少しでも軽くさせられる。演劇に限らず、芸術はそのためにあるよなあと、私の考えを再認識しました。
 あと、会話のテンポが絶妙で、何度も笑いました。からあげいつ食べるかな…真面目な話してるな…まだ食べないあっ食べた!!

 二つ目、ウンゲツィーファ『Uber Boyz』。
 近未来、地球は30万層にもなる平面で構成されている。下層へ行けば行くほど、ウーバーの報酬金は高くなる。彼らは何を求め、どこへ向かうのか…。
 なんてたいそうなことを書きましたが、この作品は、もうノリと勢いで見てました。白状します。
 私、ホログラムの人めちゃくちゃ好きです。有料会員にはならないで欲しいですね。デザインがルフィなのはなに???触れないていで頑張ってるのも面白かったです。広い空間を爆走されるとそれだけで面白いのに、一人チャリじゃなくてセグウェイなのも面白かったですね…。絶対追いつけるじゃん。
 あと、最後のニンダイをみる外国人の件も好きです。
 演劇ってけっこう自由じゃん。って思いなおすきっかけになるような作品でした。でももっと詰められそうじゃないですか?いやでもあのくらいのラフさがうまみを生み出していたのかも…。

 三つ目、コトリ会議『おみかんの明かり』。
 まず、照明の使い方が素敵でした。手に持ってる明かりだけだったり、おみかんの明かりが手に当たったときは太陽に透かしたときに血潮が見えるような瞬間を思い出しました。
 ストーリー。この世界は宇宙人の統制下(?)にある。湖の向こうにいる、死んでしまった大切な人と会える。しかし、生者と死者は触れ合ってはならない。地球が削れるほどの大爆発をしてしまうから。そして、宇宙の法を破ってしまうから。それでも触れ合ってしまう人間と、宇宙人の話。
 はじめ、シリアスな愛のお話なのかな、と思ったのですが、結構笑いどころもあって見やすかったです。光線銃に打たれる女の体とか、喋っちゃいけないと言われてからの男の行動とか…。自然で面白かったです。
 愛におぼれた二人においては、どんな第三者も無力になってしまうんだなあ、と思いました。爆発した後の世界なんて知ったこっちゃない。でも、それって今私たちもそういう面があるというか。自分勝手になることを今は我慢してるし、我慢を人に強いてるけど、一度失ったものが目の前にあらわれたら、今度こそ、と思ってしまうよなあ…。むしろ爆発で済んでよかったくらいに見えますね、コロナ禍だと。
 もっと長いお話にもできそうで、いいなあ、と。これは『Uber Boyz』にもいえるというか、SFについての話になりますが、演劇という巻き戻しができない媒体において、SFの設定をスムーズに理解させ、かつくどくないって難しいよなあと思います…。

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 どの作品も方向性とか伝わってくることとかが異なっていて、観る前よりも『弱いい派』ってなんだ…?って思っちゃってます。カテゴライズ自体、しなくてもいいとは思いますが、それこそカテゴライズされて弱者だったり、弱い柔らかい部分が集められ目に見えるようになって、この『弱いい』が広まって、いろんな人の生きる支えになっていたらすごいなあ。そうなったら広義のカテゴライズも、意味があるのかなあ、と感じます。生で観ることができてよかったです!

 ここまで読んでくださってありがとうございました。

瀧口さくら
 

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