そのままの君で 番外編1

目を覚ますと妙に身体がだるかった。
ああ、今日もそうだ。
私は幼い頃から頻繁に熱を出す。
今日もたぶん、熱があるのだろう。
せっかくの日曜日なのに。

喉が渇いていることに気付く。
水が欲しい。
足元は少しふらつくが、階下に降りて台所に行く。
母が皿を洗っている背中が見えた。
あまり顔、見られたくないな。
母は病弱な私が熱を出すたびに、とても心配する。「あなたは身体が弱いのだから、無理をしてはだめよ。」
私は後ろからそろりと近づいたが、やはり声をかけられる。

「あら、おはよう。今日はおばあちゃんのところ行ってくるから。おうち出るなら鍵ちゃんと掛けてね」
「うん…」

母は、くるりと振り返って私の顔をまじまじと見た。
「あら?もしかして美琴、具合悪い?」

やっぱり気付かれた。

「まあちょっと」
「そう…」
母は眉根を寄せ、引き出しから体温計を出してくる。
手渡された体温計を、苦々しく思いながらも受け取った。
熱を測ったら、37.8℃。
温度を見た母の眉は、さらに寄った。
「…おばあちゃんの家に行くの、また今度にするわ。心配だし。」
「いいよ!行ってきて!」
思わず大きな声が出た。母は少し驚いた顔をしている。でも。

「気にしなくていいから。」
慣れてる。熱なんか、いつものことなんだ。慣れてるんだ。
そんなに心配しなくても、私はもう高校生なのだから。

「そう。じゃあ行ってくるけど…できるだけすぐ帰ってくるから。」
「わかった」

母が浄水ポットから注いでくれた水を受け取り、飲み干す。
窓のレースカーテンから漏れる明るい光が恨めしい。

おとなしく寝とくのよ、という母の声を背中に私は階段を上り、自室のドアを開ける。
寝て起きたままぐしゃぐしゃになったベッドの上に置いておいた、ケータイの小窓に「英司くん」の文字が浮かび上がっている。
メールの文面を急いで確認する。「今日は図書館で勉強するんだけど、美琴も来る?」

…一緒に行きたかったな。

急いで返信を打つ。
「ごめん、ちょっと具合悪い。また今度ね!」
最後につける絵文字は何にしようか。ちょっとでも元気に見えるように。かわいいやつ。

…まあいいか。なんか、頭回らないや。
送信。
ベッドにあおむけに倒れこむ。なんだか力が抜けた。
ぼんやりとした頭で、ふと英司と一緒に行った去年の夏祭りを思い出す。

初めて行った夏祭り。
煌々と明かりが灯る屋台の一群、心臓を揺さぶる太鼓の音。少し遠いところから聞こえてくる祭囃子と人々の喧騒。花火の光に照らされた英司の横顔。
あの時初めて見たもの。

窓の外で、母が車のドアを開け閉めする音が聞こえる。おばあちゃんのうちに持っていく荷物を運んでいるのだろう。

さっきから頭痛がしている。少し寝よう。
ベッドを申し訳程度に直し、私は目をつぶった。

喉が渇いて目を覚ました。一時間くらい経ったのだろうか。枕元の時計を見るためにぐるりと寝返りを打つ。

「おはよう美琴」
見ると、ベッドの横に英司がいた。思わずベッドから上半身を起こしかける。
「????」
「具合い大丈夫?」
目を剥いた私を意に介さず、英司は背中を支え、布団をかけなおす。枕元には水差しも用意してあり、水をコップに注いで渡してくれた。

「おれが図書館に向かう途中で具合悪いってメール来たからさ、図書館行ってる場合じゃないなと思って、来た。おばさんが出かける直前に家に着いたから、普通に家に入れてもらえた」
「…お母さん」
「美琴をよろしくね~ってさ」

顔が熱い。熱が上がっている気がする。
目をそらした英司の顔も心なしか赤い気がするが、気のせいだろうか。
というか、私、顔洗ってない。服もパジャマから着替えてないし。英司くんが来ているというのに。

ごほっと咳き込むと、英司に背中をさすられた。
「ご、ごめ…英司くん」
「しゃべらなくていいから」
「ん…」

なんだか今日の英司くんはあまり私と目を合わせない。少し怒っているみたいに見える。
「おれ、台所から氷枕取ってくるよ」
「…うん」

英司が部屋から出てドアを閉めたので、ふっと息をついた。
英司がいない隙に、トイレに行く。用を足して部屋に続く廊下を戻る。
頭がふわふわする。
そういえば、私、英司くんにお礼言ってない。言いたいな。
会いに来てくれて嬉しい。でも、こんな格好で会いたくなかったな。
髪の毛がボサボサだ。やっぱり、せめて顔を洗いたい……。
なんだろ、耳鳴りがする。すごく頭が痛い。
視界が狭くなる。

あ、やばい。

目の前が暗くなったと同時に、私の前を記憶が流れていく。お祭りの夜だ。英司が私の手を握る。握り返す。英司の耳が赤い。緊張して引き結ばれた口元。
「田代さん、おれと付き合ってくれますか。」露店で光るネオン。私の手の先で光るラメのネイル。生真面目な英司の目。地響きがするような打ち上げ花火に照らされる。混沌。極彩色。ああ、綺麗だな。

「美琴!」
英司の叫ぶ声で、現実に引き戻される。
「英司くん…うわっ?」
ふわっと身体が浮く。英司が私の身体を抱えている。
「ちょちょちょちょ」
「なんだよ」
「重い…私、重いでしょ」
「重いわけないだろ…ああもう、びっくりした。部屋戻ってきたら美琴いなくて、焦った…廊下で倒れてたよ…」
「ごめん…」
「いや、謝る必要はないけど…」

英司は私を抱えて部屋に戻る。丁寧にベッドに寝かされ、布団をかけられる。持ってきてもらった氷枕が、ひんやりとして心地よい。
天井に顔を向けると、私を見下ろしている英司と目が合った。

視界がうるむ。頬が濡れるのを感じる。
「美琴?どうした、頭が痛いのか」
英司が心配そうな顔をしている。ああ、こんな顔させて。

「英司くん、ごめんね」
胸の奥から熱いものがこみ上げてくる。
なんでだろう。

「何言ってんだよ。美琴、もっと頼ってくれていいんだぞ。隠さなくていいんだぞ。」
「……ありがとう」

優しいな、英司くんは。そんなこと言われても、私はあなたの前でいつだって元気で可愛い女の子でいたい。
弱ってるところなんて見せたくないよ。

…でも、甘えていいかな。今だけ。

ぼんやりとした視界で英司が優しく微笑むのが見えた。さあ、眠ってというように頭を撫でられる。促されるままに目をつむる。

英司くんは、私のヒーローだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?