読書感想文 ツナグ

死んだ人間ともう一度だけ会うことができるならば、果たして誰に会うだろう。

本小説「ツナグ」は、死者を呼び寄せ、死者と生者を一夜限りで繋ぐことができる使者(ツナグ)を中心にして描かれていく。
生者は生きている間に一度だけ、死者は死んでから一度だけ、生者は死者に、死者は生者に会うことが出来る。しかし、使者(ツナグ)に依頼が出来るのは生者のみで、死者はただ待つことしかできない。

人気絶頂の最中、突然死したアイドルが心の支えだったOL。母親の癌を母や親戚に告知できなかった頑固な息子。親友の事故死に秘密を抱えている女子高校生。婚約者が失踪してから七年間待ち続けているサラリーマン。
死者と会うことで前向きな人生を歩めるようになる者もいれば、死者との邂逅を果たしたが故に生涯解決出来ない悔恨が生まれ、絶望する者もいる。


使者(ツナグ)である渋谷歩美はどこにでもいる男子高校生だ。
普通の男子高校生と違う点は、幼い頃に両親が亡くなっている点くらい。
今際の祖母から先祖代々受け継がれてきた使者の仕事を引き継ぎ、生者と死者を繋ぐ使者の仕事をする過程で、「使者(ツナグ)とは何のために存在するのか」、「死者を呼びよせるのは生者のエゴではないか」という思いを抱き、懊悩する。
やがて彼が辿り着いた答えの中で、死者を呼び出すのが生者のエゴだとしても、残された者には死者の死を背負う義務があること、生者は死者の目線に晒されていると感じることで、死者には残されていない生を全うすることが出来るのだという結論に至る。

この考えは現実世界でも一緒だ。
現実世界での使者(ツナグ)は、本や映像であり、これらの記録媒体を通して、死者を生者のために利用していると言える。既に死んでいる夏目漱石や太宰治、ドストエフスキーの本を読むことも、生者が死者を一夜だけ生者のエゴで呼び出している使者(ツナグ)と原理は同じだ。
そして、使者(ツナグ)を通して呼び出された死者が、生者に会いたいと願われたことが嬉しかったのと同様に、死者である文豪の本を生者である我々が読むことで、死者である彼らを満たすことが出来るのではないだろうか。
また、彼らが伝えたかった想いや生き様を、生と死の境界線を越え、受け継ぐことが出来るのではないだろうか。

この本を読んで最終的に感じたことは、死者と生者に明確な境界線はないということだ。
どちらの存在も互いに対等であり、生者の記憶の中に死者が生きてさえすれば、死者であろうと生者に影響を与えることが出来る。
唯一の違いは、死者は死んだ時点より先の人生が止まっているのに対し、生者には未来があることだ。
だからこそ、その未来を既に消費した死者に教えを請い、より良い人生を歩み、その先の未来を全うする義務があると感じた。

ここで、改めて問う。
死んだ人間ともう一度だけ会うことができるならば、果たして誰に会うだろう。
そして、自分が死者になった時。
生きている間はたった一度だけ使うことができる使者(ツナグ)のチケットを、死者の自分と会うために使いたいと言ってくれる生者がどれくらいいるだろう。
たった一夜だけの再会であっても、死者と生者の邂逅は、生者のその後の一生に大きな影響を与える。
現実世界を生きる我々にとっても、記憶や記録を利用することで、死者との邂逅を果たすことが出来る。

自分が死者になるまでに、生者のために何を遺してあげられるのか。
死を強く意識できる者だけが、生を本気で全うすることが出来るという事実を改めて認識できる小説だった。

自分が死者になり、現実世界の生を終えても、多くの生者に影響を与え続けられる死者でありたいと思ったし、そのために生を全うするつもりだ。
今回の作品で辻村深月のファンになってしまった。
一人また一人と好きな作家が増えていく。
死者に想いを馳せる機会を提供してくれた彼女は、自分にとっての使者(ツナグ)である。
作中でも生者は使者(ツナグ)に感謝の意を述べていたように、自分も自分にとっての使者(ツナグ)である辻村深月氏に感謝の意を述べたい。
ありがとう。

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