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日本の反省とわび状

反省とかわび状についてまとめてみました。



謝罪や反省するのは日本人だけなのか?

日本人以外は謝罪反省しないような経験が語られていれます。

「日本語の「反省する」は訳せない?

実際日本語の「反省」は翻訳困難だそうです。
以下のサイト2010年10月11日の記事「日本語の「反省する」は訳せない?の要約です。

坂東忠信さんの著書『いつまでも中国人に騙される日本人』についてのYouTube動画での発言、「中国人は反省しない」について考察しています。坂東さんは中国人は「後悔はするけど、反省はしない」と述べています。

「反省する」という表現は文化的なもので、日本語以外では翻訳が難しいと考えられます。英語の通訳者に「反省する」の英語表現を尋ねたところ、「regret」と答えられましたが、「後悔する」という意味であり、「反省する」とは意味が異なると感じられます。

日本では、子供が悪いことをすると、「本当に悪いことをしたと思っているのか?」「ちゃんと反省しているの?」と問われます。この文脈での「反省する」は、「自分のした良くない行い、それによって他者に迷惑がかかったこと、を真摯に悪かったと思い、迷惑をかけた相手に対して心から申し訳ないと思う」ということを意味します。

一方、英語の「regret」は、「望ましくない結果をもたらした自分の行動、もしくは自分のコントロールできない事態を残念に思う」ことを指すと考えています。つまり、相手に迷惑がかかったかどうか、という点は含まれていないと考えれます。

多くの言語で「反省する」の意味を表す言葉があるかもしれませんが、「反省しているの?」と問われたら、「反省しています、ごめんなさい」以外の答えはあり得ないというのは日本語の特殊性でしょう。

日本のわび状

日本の始末書などわび状は刑罰的な法的慣習として古くから定着したものでした。

犯罪や業務怠慢などを犯した者が上位者に対して非を認めて謝罪するために提出する文書。怠状(たいじょう)・怠文(おこたりぶみ)とも。

過状 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%8E%E7%8A%B6

「怠状・過状の機能を考究し、それが平安朝においては断罪の証拠となる訴訟文書として使用されたこと、奈良朝にあって始末書に限定されていたその機能が次第に変容し、一種の刑罰的効果をもつ法的慣習に発展した」

長谷山彰著, 『律令外古代法の研究』, 慶応通信https://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/detail.php?koara_id=AN00100104-19910400-0159

「自己批判」は洗脳の一部

洗脳の一部である「自己批判」は、朝鮮戦争で中国側の米兵捕虜は”批判と自己批判”セッションで、仲間を非難したり自分のミスを語ったりさせながら、資本主義と米国に対する不信感を植え付ける為のものでした。


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