段階的社会発展史観の歴史
社会進化論ではない、段階的社会発展史観をまとめてみました。
日本政府の段階的社会発展史観
日本政府首相官邸公認?の段階的社会発展史観です。
❶狩猟→❷農耕→❸工業→❹情報社会→❺Sciety5.0
【Society5.0ってなに?】令和初の「#骨太方針 2019」では、「Society5.0」(❶狩猟→❷農耕→❸工業→❹情報社会に続く、❺番目の新しい社会)の実現に向け、大きく加速していく方針が示されています。私たちの生活はどう変わるのか、その内容の一部をご紹介していきます。(続く) pic.twitter.com/Gv6qOf71rE
— 首相官邸 (@kantei) July 24, 2019
アダム・スミスの生活様式段階
首相官邸に近いのは、いわゆるアダム・スミスの生活様式4段階説でしょう。
「アダム・スミスが発案者かどうかは必ずしも明確になっているわけではないが、そう目されている
生活様式の 4 段階説によれば、
狩猟(Hunters)、
遊牧(Shepherds)、
農耕(Husbandmen)、
商業(Commerce, Merchants)
の段階が区別される。これはすべての社会が辿る段階ではない。」
「例えば、インディアンは未開の狩猟民族であることをスミスは認識しており、彼らが必然的に農民になるとはスミスは考えていない。したがって、4 段階は必然的な法則ではなく、4 段階を経験する地域もあれば、しない地域もあるという理解」
「商業社会段階になっているのはヨーロッパや北アメリカなどの一部の地域に留まっており、地上の多くの地域や国民は未だ圧倒的に前商業社会であって、彼らは部分的に商業社会化に晒されているものの、主に自給的な狩猟、漁業、遊牧、農業で暮らしていると理解」
「中国が古代に高度に文明化し、それ以来長く停滞している衰退はしていない老大国であるという認識はスミスのもの」
紀要『経済学論究』ISSN 2436-7036
67巻1号(2013年)
https://kwansei.repo.nii.ac.jp/records/19044
ヘーゲル絶対精神の発展史観
ヘーゲルは、絶対精神が社会の変化により最も発展したドイツにあらわれると考えていたようです。
ヘーゲル『歴史哲学講義』による絶対精神の発展歴史観
1.東洋世界:中国
2.東洋世界:インド
3.東洋世界:ペルシャ
4.ギリシャ世界
5.ローマ世界
6.ゲルマン世界
ヘーゲルによると
— 鳥人 (@TRi_Hito) January 28, 2019
象徴的(古代エジプト美術)
古典的(古代ギリシア)
ロマン的(キリスト教美術)
って感じで芸術は発展してきたらしいんですが、これ宗教がちがうだけ芸術の発展とかじゃなくね?ってことを先ほどから申しております。
参照したのは、小田部胤久『西洋美学史』とマイナー『美術史学の歴史』の二冊です。
— 鳥人 (@TRi_Hito) January 28, 2019
マルクス・エンゲルスのいわゆる唯物史観
マルクスはヘーゲルの絶対精神の発展歴史観のうち絶対精神を外した唯物史観をとなえました。またそれをエンゲルスが引き継ぎました。
「マルクスがその著書『経済学批判』序説において、
「アジア的、古代的、封建的および近代ブルジョア的生産様式」
という世界史の発展段階(四段階)を示したことは周知のことであるが、彼は一方では『共産党宣言』などでは
「奴隷制、農奴制、資本主義」
という発展段階(三段階)をも示している。」
「二つの説は、
「古代的」=「奴隷制」、 「封建的」=「農奴制」、 「近代ブルジョア的」=「資本主義」
で対応する。大きな違いは、前者が「アジア的」という地理上の概念をそのまま歴史上の最初の段階に位置付けているのに対して、後者が「アジア的」を欠落している点である。」
「後者の欠落はエンゲルスに受け継がれており、その著書『家族・私有財産・国家の起源』には「アジア的」の段階がない。」
「19世紀のヨーロッパの一般として、人類の歴史はギリシア・ローマの「古代」から始まる、という認識があったからだ。つまり、原始社会はサルと同様に人間の歴史から除外」
滝村隆一の唯物史観
国家論研究者の滝村隆一は、近代国家研究の方法論としての唯物史観を使いました。
方法としての世界史
「社会を社会構成体としてとらえるのは、滝村がマルクスの考え方を引き継いだものである。その原型はヘーゲル哲学の考え方にある。
滝村国家論が直接の考察対象とするのは、近代国民国家である。
しかし、近代社会はとつぜん生じたわけではなく、世界史の発展のなかから生まれたものだ。
やっかいなのは、近代を研究するだけでは、近代とはなにかという問いに答えられないということだ。
つまり、近代を踏まえながら近代以前に遡行してみることで、はじめて近代とは何かが、よりはっきりしたかたちで把握できる、と滝村はいう。
こうしたとらえ方を、滝村は「方法としての世界史」と名づけている」
「滝村が採用するのは、ヘーゲルによって開拓され、マルクスが継承した、世界史の発展史観である。
それは人間社会を
〈アジア的〉→〈古典古代的〉→〈中世的〉→〈近代的〉
という世界史的な発展過程においてとらえようというものである。」
「注意すべきは、この世界史の発展段階論が、個別の歴史にあてはまるわけではないということだ。それはあくまでも数世紀を一区切りとして、世界史の中心を巨視的なレベルでとらえた論理なのだということを忘れてはならない、と滝村はいう」
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