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昔の日本における一日の始まり

昔の日本の1日のはじまりについてまとめてみました。


日没でい日が始まるツイートがありました

民間伝承古層では日没から1日が始まります。

クリスマスも昔のキリスト教暦では日没から1日がはじまるのでイブの晩と思われている時間にもうクリスマスがはじまっていたのです。おばけや死者の祭りハロウィーンの元サウィン祭もアイルランドでは一日は日没からでした。

実は昔の日本では大きく分けて1日の始まりが3つもありました

1午前0時(子の刻)を過ぎた時
2夜明け
3日没

天文関係は子の刻から1日が始まり、庶民は夜明けから1日が始まる

1740年の暦のことわり書きに天文方 渋川 則休、猪飼 豊次郎の連名で 世の中は夜明けを一日の始点としているが、夜中の子の刻が正しいので、知らしめるべしとの記述があります。

天文関係者は夜中が始点と認識していたようですが、一般には夜明けと思われていたことがわかります

https://web.archive.org/web/20190207222148/http://www.geocities.jp/afi_651/japantime2.html#TYUU2

日本できちんとした暦が使われるようになったのは六世紀末頃…

当時は中国から輸入した暦をそのまま使用していた時代ですが、この時代からそれ以降ずーっと日本の暦の日付の区切りは 正子(しょうし…「子の正刻」の意味) 今で云うところの夜の零時…(ちなみに「正子」は先に説明した「夜九ッ」の始まりにあたります)

 公的な行事、記録はこの正子で区切った日付によって為されるのが基本。

 もちろん暦月の区切りもこの正子で区切られた日付の変わり目に従って切り替わります。

 この辺の話は「日本では昔からそうだった」というより、日本が暦を学んだ中国が昔からそうしていたので、習った日本も当然のように、そうなってしまった…

江戸時代に生きた人たちも結構このあたりは混乱して使っていたようで、暦の上では日付が変わったはずの正子(夜九ッ)~明け六ッ前に起こった事の記録を、前日の日付で記入しているということがかなりあった…古文書に記された日付にはこうした誤りが、結構混じっている

https://web.archive.org/web/20210918193602/http://koyomi.vis.ne.jp/doc/mlwa/201110240.htm

宮中では丑の刻から1日が始まる

宮中では丑の刻から1日が始まるようです。

橋本万平氏が『日本の時刻制度』(昭和四一年九月刊)において、中古や中世の資料によって、一日の始まりは寅の刻からであったと述べられて以来、その説に従う人はあるが、異を唱えた人はない。橋本氏の提出された資料を検討してみると、ある資料は、橋本氏の説を導くに適切でないものであったり、ある資料は当時の一説であって、寅の刻から一日が始まるという説が、どれ程有効だったのかは明らかでない。

橋本氏の提出された資料以外の中古の資料からは、丑の刻から一日が始まるという考えが、宮廷社会では有効だったように思われる。

日の始まりは寅の刻説存疑

A doubt about the opinion that a day had begun from "Tora-no-koku"(3a.m.).
http://repo.nara-u.ac.jp/modules/xoonips/detail.php?id=AN00181569-19980300-1012

江戸の一日

江戸時代の一日の時間は季節によって時間の長さが変わっていました。

明治での時間の獲得

目地時になり時間の長さが現代と同じになり時間感覚も変わりました。

近代日本語における 「時」 の獲得https://web.archive.org/web/20220305152704/http://www2.ipcku.kansai-u.ac.jp/~shkky/wakumon/no-09/9-01-matsui.pdf

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