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これも一種のジェラシーというものか。

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2019-06-05

タレントの山里亮太さんと女優の蒼井優さんが結婚したという。

芸能に疎い私はどちらのこともそれほど知らないけれど、断片的な印象から何だかいい組み合わせだなと感じた。

そんなことを同居人に話したら、しばしの沈黙の後に「それはネタだよね?」「え?本当?」「あのかわいい優ちゃんが、なんでアイツを選んだのか…」などと、長年の男性ファンのような発言をしはじめた。「かわいい優ちゃん」はいいとしても、「なんでアイツ」はだいぶ失礼ではないか。

というか、彼女のことそんなに好きだったのか。

たしかに前からたまに話題にしてたし、写真集も買ってたけど、それ程とは…。同居人の意外な反応にちょっと引きつつも、そこまで執着される「優ちゃん」の存在が急に気になりだす。こんな日記まで書いてしまった。

これも一種のジェラシーというものか。

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2019-06-06

大皿に盛られた食べ物を出されたとき、他人の分のまでうっかり食べてしまうことが、ときどき、いや、わりとよくある。今日もトウモロコシが人数分きっかりしかないのに2つ目をかじり始めてしまい、同居人に怒られた。誤解のないよう言っておくと、決してわざとやっているわけではない。

この理由としていまのところ有力なのは、私が長男であるということだ。

いろいろな人の話を聞いていると、下の子、とくに末っ子として生まれた人は、往々にして「上の子に自分の食べ物を盗られた」という記憶があるらしい。それゆえに、彼らは「自分の食べ物の確保」に対してシビアになるという。

逆に一番上はそういう経験に乏しいので、そもそも食べ物に対する「自他」の意識が低い。私もその自覚がある。

もしかすると鈍感同士なら問題にならないかもしれないが、同居人は末っ子。やはり気になるという。あまり根本的な価値観が食い違うことのない相手だけど、この溝は埋められない気がしている。

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2019-06-08

最近、外国の友人とメールのやり取りをしている。

相手はスウェーデン人なので母語はスウェーデン語だけど、おなじゲルマン系言語ということもあり英語もネイティヴ同様。こちらはゆっくりなら読み書きはできるけど、時間がないとGoogle先生に頼ってしまうことも多い、ヘタレ英語。

そんな状態ではさぞ相互理解に苦労するかと思いきや、意外とそんなこともない。

小手先の言い回しに逃げられず、結果的に日本語より端的な表現になるからだろう。話が深まると稚拙な返答しかできなくてもどかしくもなるけれど、結局はカタコトでもなんでも本意が伝わればいいのだ。

どれだけ器用に言語を操っても、心が通じなければ意味がない。不自由な言語でのコミュニケーションは、言葉の本質的な役割を思い出させてくれる。

いつも伝わる言葉を使えているだろうか。

最近はなんだか日本語のほうが自信がなくなってきた。

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2019-06-09

死に対して抗おうとするのが男性性(≒父性)で、受け入れようとするのが女性性(≒母性)だとして、私は両極に惹かれながら、どちらも等しく居心地が悪く感じることがある。

誰もがそのグラデーションのなかで揺れ動いているものだと思うけど。

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2019-06-10

本日は軽い事務処理を済ませてから、新しく開発を検討している商品について考えていた。

現在の私の仕事は明らかに頭脳労働が多い。

基本的にそれが向いているから苦にはならないとはいえ、やはり偏りすぎると心身のバランスが崩れるのを感じる。

こういう場合、一般的には「運動の習慣を身につけましょう」ということになるのだろうか。しかし自慢ではないが、元来ズボラな私の体は「健康のため」などという、もっともらしい理由ではピクリとも動こうとしない。それどころか、そもそも健康とはなんなのか……と余計なことを考えだす始末だ。

そんな私が運動の習慣を身につけられる方法があるとしたら、それは「仕事化する」ことだ。日々の仕事にあえて肉体労働が必要な要素を増やすことで、バランスを整えていくのだ。

私のワークライフバランスは公私の区別ではなく、混同によって保たれている。

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※この日記はTwitterでつぶやいた一週間分のネタをまとめたものです。


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