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トランスジェンダリズムに対する疑問(随時更新)

 現時点でのトランスジェンダリズムに対する私の疑問点を列挙します。現時点では思いつくままに20点挙げてありますが、新たな疑問がわいてきたら追加し、疑問が解消されたら独立した投稿を立てます。

1.なぜ、素人の一般女性がここまで調べて学者に反論しないといけないのか

 この問題は、本来ならフェミニスト学者同士で議論し、世間に対して啓蒙活動を行うべき内容だと思うが、なぜTwitter上で、フェミニズムの知識も乏しい素人の一般女性がTRA学者から「差別主義者のTERF」扱いされ、議論に巻き込まれなければいけないのか。
 トランスジェンダリズムが学問的、法的に正当なのものであるならば、根拠を添えて丁寧に説明すればいいだけなのに、なぜ一般女性の疑問に応えず、はぐらかすのか。

2.フェミニスト学者の不在

 なぜ、クィア系やインターセクショナリティ系以外のフェミニスト学者はこの問題に沈黙しているのか。私の知る限り、この問題に言及したフェミニスト学者は、青土社「現代思想」2020年3月号に寄稿した千田有紀さんだけ。無言を貫いているフェミニスト学者の方々は、トランスジェンダリズムに全面的に賛同しているのだろうか?
 2019年4月28日配信のハフポスト日本版「教えて、三橋順子さん。 トランスジェンダーへの誤解を解く3つのキーワード〈決定版〉」では、「克服されたはずのTERFの問題」として1980年代以降の欧米でのトランスジェンダー差別とそれに対するフェミニズムの変化が挙げられているが、日本で「トランスジェンダー」という言葉が広く一般に広まったのは2010年代以降の話であり、「日本のフェミニズム」においてこの問題がどのように議論され「克服」されたのかが、全く見えてこない。

3.保守右派の不在

 なぜ、2000年代にジェンダーフリーに反対しバックラッシュ運動を行っていた保守右派(現在で言うところの「ネット右翼(ネトウヨ)」)の人々はこの問題に無関心なのか。当時、彼らが心配していた「生物学的性差の無視」や「トイレ・更衣室の男女共用化」が今まさに起きているのに。
 TRA(トランスジェンダーの権利のために活動する人)は「TERF(トランス排除的ラディカルフェミニスト)はネトウヨ。保守右派と繋がっている」という印象操作を好むが、私が見る限りこの問題に関心を持っている人の多くはリベラル左派寄りの女性が多く、フェミニストを自認していない人も多数含まれる。

4.ジェンダーフリー・バックラッシュ時の説明との矛盾

 先述の通り、2000年代に保守右派がジェンダーフリーに対するバックラッシュ運動を行った際、日本女性学会はQ&A集の中で「ジェンダーフリーは生物学的性差を無視しない、男女同室着替えなどはあり得ない」と説明していた。トランスジェンダリズムはその説明と真逆のことを主張しているが、日本女性学会をはじめとするフェミニスト学者はこの矛盾をどう捉えているのか。

5.「ジェンダー」についての認識の変化

 2000年代のジェンダーフリー運動では、一般社会に向けて「セックスは生物学的性、ジェンダーは社会的・文化的性別」という説明が行われてきたが、現在のトランスジェンダリズムでは、ジュディス・バトラーの「セックスは、つねにすでにジェンダーである」というフレーズを用いて「性別はジェンダーである」と主張する人が多く見られる。
 このポストモダン的(?)ジェンダー概念は、日本のアカデミックな女性学やフェミニズムの中でどのように議論され、どのような共通認識が形成されたのか。また、世間に対してどのような啓蒙活動を行ったのか。そして、この新たなジェンダー概念を法的性別や公共の男女別スペースに適用するつもりなのか。

6.「女性ジェンダーに割り当てられた公的空間」とは何か

 TRA学者がWAN(ウィメンズ・アクション・ネットワーク)のサイト上で行った「トランス女性に対する差別と排除とに反対するフェミニストおよびジェンダー/セクシュアリティ研究者の声明」では、「女性ジェンダーに割り当てられた公的空間」というフレーズが用いられた。
 この空間には、出生時の身体的特徴により割り当てられた法的性別に基づいて区分される公共のトイレ・更衣室・浴場なども含まれるのだろうか?
 含まれるとすれば、「女性ジェンダー(gender)に割り当てられた公的空間」と呼ぶことにより、あたかも「身体(sex)で区分されている性別スペース」を「性自認(gender identity)・性表現(gender expression)で区分された空間」であるかのようにミスリードすることにならないか。

7.「性自認を理由とした差別」とは何か

 現行の法的性別および男女別スペースの区分基準は「身体の性別」か、それとも「性自認・性表現」か。「女湯は身体的性別・法的性別で区分されたスペースだから性自認が女性であっても使用できない」と言うことは「性自認を理由とした差別」に該当するのか。
 MtFの新宿区議は2020年9月4日、Twitterで「日本共産党は性自認を理由とした差別に反対しています(綱領より)」と述べたが、性別スペースの問題において「法的性別・身体的性別」と「性自認・性表現」のどちらが優先されるのか。

8.法令遵守を求める女性に対する「差別主義者」扱いの正当

 女湯などの性別スペースが身体で分けられているのは法的事実であるのにも関わらず、使用者に法令遵守を求める女性達が「差別主義者」扱いされるのはなぜか? そう呼ぶ側は、何を根拠に「差別主義者」扱いしているのかを明確に示す責任があると思う。

9.男女の非対称性

 「男性専用スペースに女性身体者が入ること」と「女性専用スペースに男性身体者が入ること」の非対称性が軽視されすぎている。どちらがよりリスクを感じるかは明白なのに、「俺は男湯に身体が女性の人が入ってきても全然困らない。大歓迎」と言う男性が「差別に反対し人権を擁護する人」として扱われ、「女湯に身体が男性の人が入ってくるのは困る」と言う女性が「人権侵害の差別主義者」として攻撃されるのはあまりにも非対称である。

10.「TERF」という呼称

 なぜ、「ラディカルフェミニスト」どころか「フェミニスト」すら自認していない女性まで「TERF(トランス排除的ラディカルフェミニスト)」と呼ばれるのか。
 また、なぜ「トランスジェンダーの問題はフェミニストおよびフェミニズムの問題だ」ということにしたがるのか。
 フェミニスト自認でない一般女性の私から見ると、これは「身体的に男性である人が女性専用スペースを利用することについての問題」であり、「トランスジェンダーやフェミニストに限らず、すべての女性(female)の問題」であると思う。

11.「性別男女二元論批判」に対する矛盾

 TRAは「性別男女二元論」を批判し、中には「家父長制維持のための装置」であるとして解体を求めている人もいる。しかし、トランスジェンダリズムは、性別を分ける基準を「身体の性別」から「性自認・性表現」に置き換えただけで「性別男女二元論」を維持していることに変わりはない。
 ちなみに性自認を「シス/トランス」で区分することも二元論的思考だと思う。

12.「性はグラデーション/スペクトラム」との矛盾

 「性はグラデーション/スペクトラム」であるなら、なぜ「多様な性」に対応可能な「法的性別・身体の性別・性自認・性表現を問わない誰でも使用可能な個室スペース」の増設を目指さないのか。賛同しないどころか、「トランスジェンダーに対する排除・差別」だと言う人までいる。
 また、ノンバイナリの人々についてはどう考えているのか。

13.TRA学者の姿勢

 TRA学者の皆さんは「TERF」のレッテルを貼った女性達のツイートに対して「論理のすり替え」「印象操作」「歴史修正」「犬笛」などの問題を指摘するが、私から見るとTRA学者のツイートからもそのようなことを感じることがある。
 直近の例では「女子トイレに『男性に見える人』がいたら」を「『女性らしく見えない人』がいたら」にすり替えたケースが挙げられるが、メディアを通して流布される性同一性障害(GID)とトランスジェンダー(TG)の混同はお茶の水女子大学のトランスジェンダー学生受け入れ発表から2年間ずっと続いていると思う。
 性同一性障害という医師の診断に基づく限られた人々に対する特例措置を、病理概念によらず非常に幅広い概念であるトランスジェンダーの権利として拡大適用することが繰り返されており、かつての私がそうだったように「トランスジェンダー=性同一性障害。トランスセクシュアルの人」と誤解している人も多いと思う。
 大学教員が意図的にミスリードしたとしても、何も知らない善意の人はそれを良かれと思って拡散する。それをずっと見てきている身としては、彼らの言行不一致ぶりと不誠実さに不信感が募る。

14.なぜクィア学会を再開しないのか

 TRA学者の多くは、WAN(ウィメンズ・アクション・ネットワーク)や日本女性学会などの女性団体・女性学会の中でトランスジェンダリズムをはじめとするLGBT運動を展開しようとしているが、なぜ無期限活動休止中となっているクィア学会を再開して、そこで活動しないのか。
 LGBTの問題を扱うならジェンダー系の学会の方が適していると思われるが、なぜ女性団体・女性学会で活動する必要があるのか。
 ちなみに、アジア女性資料センターの季刊誌「女たちの21世紀」は2020年に「f visions」という名称に変更されたが、この「f」は「female」のfではなく「『feminism』『freedom』『future』など、複数の意味をこめた」ものとのこと。
 女性学会や女性団体、女性センターが、(女性だけのためではない「みんなのため」のフェミニズム、ジェンダー、ダイバーシティなどの言葉に置き換えられ、「女性」という言葉が消されていく流れは何か。

15.「female」という言葉をなくそうとするのはなぜか

 私自身は性自認(gender identity)という概念を持たず、身体の性別に基づいて女性(female)として生きてきた。そして、2000年代のジェンダーフリーで「人間の脳や心に男も女もない」という理解を得て、幼少期から強要されてきた女性に対する性役割や性規範からの解放を期待した。
 TRA学者が主張するような「女性ジェンダー」を受けれいていないにも変わらず「シス女性」というラベルを貼られている人間であり、「女性ジェンダーが女性の人」という枠で括られても、所属意識もないし、共感できることも少ない。
 一方、「女性female」には身体的特徴やそれに紐づけられた性役割・性規範の押しつけ、性暴力被害など多くの共通点があり、今まで以上に連帯の必要性を感じる。その「female」という言葉を消したり簒奪したりする人々の目的は何か。

16.性別の自己決定権は「普遍的な人権」なのか

 2018年7月に中央大学で開催された講座の動画において、トランス女性の三橋順子氏は「普遍的な人権の問題である性別の自己決定権と、たかが明治期以降に定着した男女別浴の慣習は比較にならない」という主旨の発言をしていた(詳細は動画をご確認いただきたい)。
 しかし、「性別の自己決定権」とは「普遍的な人権」なのだろうか? 私たち女性身体者は、今までも性別を自己決定してきたのだろうか? そのような権利が普遍的に与えられていたのか? 女性身体者が男性を自認したところで女性に対する差別や蔑視、性暴力の問題から逃れられるのだろうか?
 また、三橋氏は同じ動画で「男性・女性とは別に『第三の性』を設けてそこにトランスジェンダーを押し込むのはやめていただきたい」という主旨の発言をしていたが、性別の自己決定権が認められるなら、私は「第三の性」を選択する。私はsexは女性femaleかつgenderは第三の性(ノンバイナリー、ジェンダーレス、ジェンダーフリー等)の枠に入るので、sexが男性maleかつgenderが女性womanである三橋氏とは何の共通点もなくなる。
 その上で、sexに対する差別もgenderに対する差別もなくし、sexにおける弱者(female)に対する保護スペースを存続させればいいと思う。

17.なぜ、女性が獲得した権利(女性専用スペース等)を簡単に手放そうとするのか

 2020年8月18日にWANに掲載された伊田久美子氏の投稿では「性別二分法が適用されない場合は男性が基準であり」「公共施設は成人健常男性基準で作られており、女性は随分苦労してきた」と書かれている。
 にも関わらず、女性専用スペースを解体し、性別二分法が適用される前の男性基準の状態に戻そうとするのはなぜか。「男女共用化」は男性基準であり、女性は苦労すると分かっているのに。
 女性専用スペースは過去の女性達のお陰でやっと獲得できた女性の権利なのに、なぜ簡単に手放そうとするのか。「たかが明治期以降の慣習」などと歴史の浅さで軽視され廃止されることを許したら、他の権利も奪われかねない。

18.なぜ、欧米の受け売りばかりで、日本特有の事情について考慮しないのか

 米国をはじめとする英語圏ではトランスジェンダーの女性に対する暴行や殺人が多発しているそうだが、日本ではそのようなニュースは聞かない(一方、「誰でもよかった」「無差別殺人」という建前での身体的弱者(女性・子ども)を狙った殺人・性犯罪は山のようにある)。にも関わらず、TRAは「トランスジェンダーの人権を守るために性自認の尊重と法的性別の変更を認めるべき」と主張する。
 一方で、性自認による法的性別の変更を認めた国では女性専用スペースでのトラブルが起きている。日本および韓国は、世界で珍しく全裸での銭湯・温泉文化を有する国であり、欧米諸国のトイレ・更衣室以上に(身体的)男女共用化のハードルが高いはずだが、その点を考慮しないのはなぜか。
 女湯の必要性を訴えても、「江戸時代は混浴だった」「たかが明治期以降の慣習」と軽々しく扱われるのはなぜか。

19.松浦大悟氏のテレビ出演時の発言に対する扱い

 女性専用スペースの問題は遅くとも2018年12月前後から本格化したのに、なぜ2019年1月5日の松浦大悟氏のテレビ出演時の発言をトランスジェンダー差別の起点だったかのように語る人がいるのか。
 松浦氏がテレビで発言する以前に、既にTwitter上では女性専用スペースの問題が噴出しており、反差別活動家の男性達が「受け入れないのは差別だ」と女性に詰め寄るケースは起きていた。
 1年8ヵ月経った今もそう主張する人はいるし、ふぇみ・ゼミ×トランスライツ勉強会の公開質問状も「WANに掲載された石上卯乃さんの投稿は『身体的特徴によって性別が決まるのだと主張して、ミスジェンダリング(誤った性別割り当て)を煽動する』『トランスジェンダー排除・差別』」として批判している。
 論点はずっと「身体が男性である人の女性専用スペース利用を認めないことは排除・差別か否か」であり、女性専用スペースでトラブルが起きているのは事実なのに、なぜ「松浦氏が事実誤認にもとづいて『トランスジェンダー』への恐怖を煽った」とされているのか、よく分からない。

20なぜ、反差別活動家の男性達のミソジニーは放置されているのか

 この問題に言及するC.R.A.CやANTIFAなどの反差別活動組織に所属する男性たちが、Twitter上で女性達を「クソTERF」「アホTERF」などと罵倒することが放置されているのか。2020年8月20日にWANに掲載された遠藤まめた氏の投稿では「暴言はどなたに対しても許容されるものではありませんね」と書かれているが、この2年弱、TRA側の人々が男性が女性に罵詈雑言を浴びせることを諌めたという記憶がない(誰かご存知の方がいたら教えてほしい)。
 彼らの言動は非常に女性蔑視的かつ攻撃的で、女性たちを恐怖させるのに充分な力を発揮した。私の経験に基づく認識としては、「トランスジェンダー』への恐怖を煽った」のは松浦大悟氏のテレビでの発言というよりも、TRAや反差別活動家の人々(特に男性)の言動の方だと思う。
 そもそも、女性専用スペースの問題に男性が割り込んできて勝手にルールを決める権利がどこにあるのか。その姿勢こそ女性蔑視・軽視だと思うし、それを許容するTRAの人々の標榜する「フェミニズム」とは一体何なのか、首を傾げてしまう。

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