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生育歴④


生育歴③からの続きです。

大学生時代(4年生)

実習は問題なく終了し、就活も夏頃に無事終了しました。後半は卒論と国試の勉強に追われてました。精神保健福祉士は就職してから取得したので、この時は社会福祉士の受験のみです。国試落ちたら内定取消だと思っていたので(後にわかったのですが実は落ちても取り消しにはならなかったようです)、今までにないくらい机に向かいました笑 4年生は授業はほとんどありませんでしたが、大学の図書館で勉強したり大学まで行くのが面倒な時は家の近くの自習スペースで勉強していました。
無事に卒論を完成させ、国試も合格できました。メンタルも安定し、遊び相手の人たちとの縁も切れました。卒業間近は友人たちと楽しくディズニーに行ったり、海外に行ったり。今でも本当に楽しい思い出です。

社会人1〜3年目

1年目は大変でした。多方面から怒られました笑 未熟さ故もあれば、理不尽なものもありました。
どこの医療機関もだと思いますが、一医療機関あたりのソーシャルワーカーの人数は少なく、みんな忙しい!自分の職場も少ない人数でみんな忙しい、聞きたいことがあってもみんな部屋にいない、いてもずっと電話してて聞く暇もないみたいな感じでした。でも遠慮してても解決しないので、無遠慮に聞きまくりました。
私は異動者の後任での採用で、異動者が担当していた病棟をそのまま担当することになっていました。陪席も2〜3回のみで、とにかくやってみなさいと獅子の子落としの方針だったと思います。例えば転院の相談や役所への連絡等もかけてみれば相手から色々聞いてくるから!と言われ、やるしかなかったです。もはや相手方の人たちに指導してもらってました。新人であることを言い訳にし、地域の関係機関の方々に本当にお世話になりました。
この時の経験は今にも活きています。慣れてくると、このケースはこの制度が使える・こういうケースワークが良いだろうみたいに考えがちですが、もしかしたら他に使える制度があるかも・あの人あの機関に聞いてみようと、自分の知識はまだまだ不十分・初心忘るべからずと今も肝に銘じてます。
プライベートでは、職場は違いますが同期と付き合い始めました。後にこの人と結婚します。妹のことをいつ話したか忘れましたが、付き合って数ヶ月後くらいに話したと思います。

2〜3年目もまだまだがむしゃらに働いてました。今みたいに時間になったら帰る!みたいな働き方もできず、そんなこと考えてすらなかったと思います。定時頃まではひたすら面談・カンファレンス・関係機関への電話等々、電話がつながらない時間になってようやく記録をまとめるみたいなやり方でした。残業代もつけず、色々とよくないやり方だったと思います。
今は当時の自分のやり方を反面教師にして後輩たちに接しています。

社会人4〜6年目

4年目に精神保健福祉士の資格を取得しました。共通科目免除+実務もしていたので、学生の時よりかなり楽に合格できました。
5年目は結婚するしないの時期でした。夫は妹について何も言いませんでしたが、夫の親は心配そうでした。と言っても直接何か言われることはなかったです。ここで夫・夫の両親から妹のことを理由に結婚を反対されたら立ち直れなかったかもしれません。
ここで破談になったとしたら、「そんな人と結婚しなくて良かったんだよ」と言う人も多くいると思います。でも、「そんな人」と結婚したかった、反対する理由も理解できるからこその悲しさ悔しさ、自分の力では変えようのないことだからこその辛さがきょうだい児・者にはあることを知ってほしいです。交際のハードル、結婚のハードル、相手方の家族に説明するハードル、いくつものハードルを乗り越えての結婚です。拒絶されるのではないかと、一つ一つが本当に怖かったです。これらを乗り越えてくれた夫には感謝しています。
6年目の時に結婚しました。結婚式は身内だけです。私も夫も友人や職場の人等を招いて大々的に結婚式をやりたいというような性格ではなかったので、身内だけで行いました。もし夫が大々的にやりたいという人だったら、妹を出席させるかどうかで一悶着あったかもしれません。

⑤へ続く

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