私がネットを見てしまうのは

昔から友人が極端にいなかったり、周りに共通の話題の出来る人がいない訳でもない。自分の創作活動すらどんどん表舞台に出していくというよりも自己満足で作ったものをたまに読み返すくらいが娯楽である。

それでも私は中学生の頃からネットで他人と交流をするのが好きであった。

最初はチャットサイト。それに適当な名前を登録していつもの顔なじみ、名前馴染みと会話をするのが心底楽しかった。勿論、学校に友人はいた。それも別に満足していないとかそういう事でもなかった。

その当時話していた内容は特に覚えていない。その当時仲良くなった人と交換したYahooメールのアドレスにこの話を書こうと思う前にメールを送ってみたが、返事は当然ないし仮に見てくれたとしても返信なんて来ないだろう。ただ、今もそういった情報が何故か昔使っていた携帯を整理したら出て来たという事が面白くて送っただけだ。私も当時のYahooメールのアドレスなんて忘れてしまっている。そういうものだ。

それでも結構思い出というには薄い記憶ではあるが、自分が覚えているという事に感動してしまった。

ただ、知らない人と適当な話をしているのが好きなだけであって私はやがて始めたブログサイトでも似たような感じであった。何かを成したいと決定的に感じたり、ネットで知り合った人に本気で友情を感じて依存をするような事もないのに何故か私は漠然と好きだったのだ。

そのうち、高校生になるとツイッターにハマった。時間があればTLに張り付いて更新を確認する。当時ガラケーで更新してた私にとっては更新する間も何だか惜しい時間の様に感じた。

そして今も何だかんだ更新頻度は下がっても続けている。そして5年以上相互のフォロワーもいるが、そう考えると考え深い。チャットサイトで知り合った人もブログサイトで知り合った人も自然と交流が消滅してしまった。

年単位で私を知っているネットの知り合いがいるというのも奇妙だなぁと思ったが、私の学生時代もそうだったが入学前からSNSで先に同じ学校になる人の中で友人を見つける人も多い。だから現代では不思議ではないのかもしれない。

それからピクシブにもハマった。人の作品を見放題というのが、良かった。発信しなくてもしてもいい。私は中学生の頃からやっていたnanoで作成した同人サイトのパスワードを忘れてしまったのはこの頃だったと思う。

ツイッターをする前は同人サイト内の掲示板もリアルタイムもそこそこまめに更新するタイプだったし、リンクしているサイトだってあった。そこから交流があった人がツイッターをやっていればそこから繋がっても良かったかもしれないのに、しなかった。わざわざ調べる事も面倒だと思ってしまっていた。

それから長らくその二つは今も続けている。書いているものも変わっているしアカウントも変わっている。特にツイッターをしていた時期には規制が掛かった際の規制アカウントも当然の様にあったのが不思議なくらいだ。何をそんなに更新していたんだろうか。

そして私は今日もネットを見てしまう。

理由はないんだろう。時間潰しなんだし。それでもこうしてごくごくたまにだけども、noteも更新してしまう。それは結局のところ、一生ネットのお友達だからなんだろうかなぁ。


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