オシャレな話が一つもなくない?

どうも、最近スタバの新作が甘くて年々飲みにくくなってきた舌の甘み度数限界系人間の安元です。

最近noteを使いながらも、他の方の記事とか全くと言って良い位に読んでいなかったんですよ。
というのも、これ自体がtwitterの延長線にしかない何処まで切り開いてもネットしか出て来ないインターネットに取り憑かれた人間になっていました。
嘘です。今もそうですよね。

文字を読む事は元来好きなので学生時代はyahooニュースを端から読み漁る様な子供でしたが、大した学は御座いません。読むだけで興味が無いと覚えられないタイプなんですよね。

年間本も月に一冊、二冊購入しますが、内容を事細かく覚えているものは少ないのです。電子書籍も紙も好きなのでどちらも利用します。しかし、好きな作品は読み直して読み直して。大抵は一度読んで満足するタイプなのです。

そんな私は最近自分のある傾向に気が付きました。

知性のある文か知性の全く無い文しか読みたくない〜〜〜〜!!!あと米津玄師の馬と鹿のCD欲しい〜〜〜!!!

ここでいう知性のある文は知識教養のある読みやすい文章とでも考えて置いてください。大抵の書籍化されている本はこれです。

反対に知性のない文、それはtwitter的価値観の文章と言っても良いと思います。知性のある文がtwitterにあるなしの議論ではなく、twitterの様に気軽に思ったままを書き込めるような文章こそ知性がよく削ぎ落ちていく古の無秩序ゆえのこれこそ真理の最&高という事です。

つまり、深く考えていない小手先だけの文章。刹那の笑いに特化した笑いの弾道ミサイルな訳です。

自分の書く文章も、自分でも理解しております。
小手先でなんとか上手いことを言って、それなりに面白い文章を思い出し繋ぎ合わせた笑えという念が見え透いた汚い文書。

それが私でございます。

悲しいかな、ちゃんと理解して尚書く事が憐れを強調させております。

そういえば、この文書自体を始めてすぐ位に書いてはいたのですが出すのが遅く、奇しくも馬と鹿のCDを手にした日となりました。

とりあえずみんなも、

素人の下手な小手先でtwitter的笑いを取ろうと必死になるのは辞めよう

という回でした。それでは。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?