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江ノ浦測候所 杉本博司

概説

 最寄駅の根府川駅ではタクシーが停車していないとの友人の助言により、隣駅の真鶴駅で下車することにした。真鶴駅は小さく、明らかに街の中心機能を担っていないにもかかわらず、友人の助言通り、駅の玄関口にはタクシーが乗客を待っていた。
 江の浦測候所へ向かうのはこれが初めてである。いや、それどころか杉本博司の作品をしっかりと鑑賞することもこれが初めてである。
 建築に疎く、杉本博司の作品や思想を追ったこともない僕が得ていた測候所の予備知識は、冬至と夏至の日の入りを直線上に拝むことができる回廊の存在くらいだった。

冬至光拝隧道

午前9時50分頃、入場口に到着すると、そこにはすでに予約客が列を作っていた。
流れのまま、その列の最後尾につき、入場時刻の10時になると、スタッフから案内書を渡された。

「アートは人類の精神史上において、その時代時代の人間の意識の最先端を提示し続けてきた。アートは先ず人間の意識の誕生をその洞窟壁画で祝福した。やがてアートは宗教に神の姿を啓示し、王達にはその権威の象徴を装飾した。今時代は成長の臨界点に至り、アートはその表現すべき対象を見失ってしまった。私達に出来る事、それはもう一度人類意識の発生現場に立ち戻って、意識のよってたつ由来を反芻してみる事ではないだろうか。」

『小田原文化財団 江の浦測候所 概説』

 パンフレットの冒頭の文章はこのような書き出しで始まる。
更にページを捲ると、測候所の地図が現れ、その地図上には50以上の建造物や展示品の場所が記されている。
一万平方メートル弱ほどあるらしい敷地の中を歩きながら、この点在している作品を鑑賞すればいいのだな、と僕は理解した。


2 作り手の意図

それぞれ異なる表情の石が配列されていることが分かる

 地図を頼りに測候所内を歩き始めたが、最初の5分ほどは、各建造物やモニュメントの見方、感じ方を掴めないまま時間が過ぎていった。その際に、漠然と感じられたことは、各建造物・モニュメントで使用されている石には多様な表情があり、その点に作り手の造形的・配列的な意図が感じられること、また、建造物・モニュメントには日本や世界の建造物を構成していた石が多数使用されており、この測候所が、日本そして世界の建築史を顧みているということであった。
 もっとも、その後、所内で歩みを進めるにつれ、このような印象は、この測候所の創作物としての表面部分に過ぎなかったことに気付かされることとなる。


3 夏至光遥拝100メートルギャラリー

右側に大谷石、左側に光学ガラスが配置されている。
海景シリーズとその背後の大谷石


 夏至光拝100メートルギャラリーは、海抜100メートルの地点に立つ100メートルの長さの回廊である。回廊の入り口から中に入ると、右手側の壁は大谷石が配置され、その壁には杉本博司の海景シリーズの作品が掛けられている。大谷石は火山が噴火して、噴出した火山灰や砂礫が海水中に沈殿して、凝固してできたものであるが、その見た目は寡黙で、かつ柔らかく、視覚を通して想起させられる触感はザラザラとしていて、どこか海底を思わせる。
 その大谷石の壁に掛けられた各作品は、世界のいずれかの国の海や湖の水平線を映した写真であるが、各作品を鑑賞する際には、作品の背景の大谷石も視界に入れなければならない構造になっている。この大谷石と世界各地に点在する水平線の作品が同時に視界に入ることで、鑑賞者は単に作品を視覚的に味わっているだけではなく、この場所があたかも海底であり、海中から世界各地の水平線を同時に多視点的に鑑賞しているような感覚を味わうこととなる。
 そして、視界を回廊右手側から外し、前を向き一歩ずつ進んでいくと、今度は左手側のガラスの存在に意識が持っていかれる。回廊左手側には光学ガラスが張られており、外の景色は屈折し、歪んで見え、さながら海中の底から空を眺めているように見える。
 これら回廊に存在する左右の構造物により、そこを歩く人間に、ここがあたかも海中であるような錯覚を抱かせ、鑑賞者は、体全体で海を味わうことになる。
そして、回廊の先端に行くと、回廊の直線上には江の浦湾が必然性を持って目の前に現れる。江の浦湾を前にした鑑賞者は、この回廊が、江の浦湾を体全体で感じるための誘発装置であることに気付かされる。

この回廊を渡り終えた後、前述のパンフレット冒頭の書き出し部分が脳裏を掠めた。

「悠久の昔、古代人が意識を持ってまずした事は、天空のうちにある自身の場を確認する作業であった。そしてそれがアートの起源でもあった。新たなる命が再生される冬至、重要な折り返しの夏至、通過点である春分と秋分。天空を測候する事にもう一度立ち返ってみる、そこにこそかすかな未来へと通ずる糸口が開いているように私は思う。」

『小田原文化財団 江の浦測候所 概説』
 

4 化石窟


化石窟内に展示されてある植物の化石

 所内巡りも終盤に差し掛かった頃合いに、化石窟という名前の小屋に行き当たった。小屋は古いトタン屋根造りの蔵であり、感覚的に、「昭和の農家の小屋かな」という印象を抱かせる。実際に中に入ってみると、鋤などの当時の農具が立てかけられており、当時の農家の営みの痕跡が残っている。
 一方で、小屋の壁には5億年程前の三葉虫の化石、その他数千年前から数億年前の虫や植物そしてアンモナイトや恐竜の化石が展示されている。一見不釣り合いに見える化石だが、僕にはこの時、夏至光拝100メートルギャラリーで味わった感覚が蘇っていた。あのときと同様に、僕はこの昭和の農家の小屋の中でも、また海底を感じていたのである。海底とは、すなわち地球であり、生命の起源である。
 さらに、この小屋には秀吉軍の禁令立て札と説明されている木板も壁にかけられている。
ここでは、昭和の農家の営みも、アンモナイトの生きた痕跡も、秀吉の立て札も、それぞれ平等に鑑賞者の前に提示され、有史以前の地球の記録と、秀吉の痕跡、そして昭和の人間の営みの記憶と現在とが混在していた。そこでは、単に、地球の空間的な広がりという意味ではなく、時間に対する感覚までもが拡張され、有史以前の過去、秀吉がいた時代の過去、少し前の昭和の時間、そして現在が混沌と溶け合っていた。

5 江の浦測候所とは何か


 
 測候所内を歩き始めた最初の数分、僕は、漠然と、ここが人間の建築史を振り返っているテーマパーク的なものなのかと感じていた。しかし、それは誤りであった。
ここは、人間の建築史という次元ではなく、人類と地球との時間的・空間的な関わり合い方を見つめ直し、その関わり合い方を鑑賞者に提示する場所であった。そして、その作業は関わり合う相手である自然の状態によっていくらでも変わりうる。今回の訪問と違った季節・気候の際にここを訪れたら、また違った発見があるはずだ。また、杉本の思想や感覚を一通り追った後で再度この場所を訪れたら、さらなる発見が必ずあるだろう。
 今度は、雨の降る季節に杉本博司の著書を読んだ上で、ここを訪れたい。



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