読書会・勉強会のすすめβ(4)―メンターの有無、参加者と本の難易度

第2回の記事第3回の記事を通して、読書会の主要な2つのパート(「当日のディスカッション」と「事前の予習」)について詳しく解説をしてきました。これらの記事は実際に読書会を走らせるときのtipsについて紹介したものです。今回は、読書会を発足する場合のポイントについて紹介します。具体的には

・参加者の特性
・本の難易度

という2つの観点から、読書会のマネジメントにおける留意点をいくつか挙げて検討していきます。特に、「読書会で取り上げる本」と「読書会の進め方」の選択にかかわるポイントを中心に見ていきます。

(※今回の記事は、今までの記事以上に、僕の個人的意見・実験的思索を含みます。あくまで「一個人の私見」として読んでいただき、読書会運営における「1つの参考意見」程度に理解して頂けると幸いです)

参加者の知識水準

第1の検討事項は「読書会・勉強会に参加する人が、学習対象についてどの程度の知識を有しているか」という点です。例えば、参加者の知識水準が極めて高い場合、あまり入門的な本を選んでしまうと得るものの少ない読書会になってしまいます。一方、初学者が中心の読書会で高度な内容の専門書を選んでしまうと、内容の理解さえおぼつかず、読書会の継続から見直す必要が出てきてしまいます。端的に言えば、参加者の知識と本の難易度のバランスを考える必要があるわけです。

どのくらいの難易度の本がちょうどよいのか、というのはなかなか難しい問題です。正直、最終的には発起人の肌感覚で選ぶとか、参加者同士で話し合うしかないところがあります。ですが、僕の個人的な感覚として、だいたい「1人で読んで7割程度理解できる本」というのが、自習の負担と当日の議論の盛り上がりの両観点から見てバランスが良いのではないかと思います。

ただし、これも1つの目安に過ぎません。また、以下で検討するように、読書会参加者の知識の「ばらつき」によっては、もっと平易な本にしたり、あるいはもっと難解な本を選んだりした方が良い場合もあります。

メンターの有無

読書会の発起人の中に、扱うトピックについて(他の参加者と比べて)ずば抜けて高い知識を持っている人がいる場合、その人を「メンター」「先生役」に据えるということができます。大学の授業・ゼミは、先生がこのメンター役を果たしている「先生役あり形式の読書会」だと言えるかもしれません。

メンターがいる場合、その人が読書会当日の議論の進行役を担うことがほとんどです。メンターは、担当者に発表を促し、他の参加者に質問を募ります。また、発表内容について質問をしたり、誤りを指摘して訂正する役割を担う中心的存在にもなります。このように、メンターは内容の正誤の判断を行うと同時に、読書会中の議論の中心人物となる存在だといえます

しかし、メンターはあくまで「中心的存在」というだけで「唯一の存在」ではありません。当然、他の参加者が質問をしたり、発表内容の誤りを見つけたり、議論の中心に立つこともありますし、またそうなるように促すこともメンターの役割です。メンターが積極的に発言するのは、あくまで「他の参加者から”出るべき指摘・疑問”が生じなかった場合」に限られるべきでしょう。

議論の中心にいると言っても、メンターも1人の参加者に過ぎません。したがって、メンターが提示する「答え」や「正しい解釈」は、あくまで暫定的な答えとして受け止められるべきものです。メンターも人間ですから、間違えることはありますし、メンターと参加者の意見の間に、無条件に優劣をつけるようなことは避けるべきでしょう。あくまで、内容それ自体を見て、その妥当性から評価を下すよう心掛ける必要があります。メンターの意見や解釈に問題があると思われる場合には、他の参加者が積極的に質問をするなどして、議論を活性化させることが理想です。

また、メンターがいる場合には当日の議論の形式にも若干の影響があります。第2回の記事で紹介したように、いきなり論点や疑問点を募り、それについて議論する「論点共有形式」は基本的にはお勧めできない形式です。しかし、メンターがいる場合には(簡単な要約などは適宜課しつつ)論点共有形式を部分的に採用することも可能な場合があります。これは、参加者が論点を出せなくても、メンターが論点をほとんど常に提供できるという見込みを前提とした進行形式です。また、要約発表形式や訳読形式をとるにしても、メンターが論点となる部分に指摘を入れて理解を確認する、ということも可能です。ただし、このような進行形式をとると、読書会と言うよりも「授業」や「ゼミ」に近い形式になるので、その辺りの加減をする必要はあるでしょう。

メンターが存在する場合、読書会で扱う本の難易度は少し高めに設定してもいいかもしれません。というのも、参加者が本の内容を理解しきれず、読書会が停滞してしまった場合でも、メンターが上記のような補助的な介入を行うことで議論を再度活性化させることができるからです。ただし、あまり難易度を上げすぎると、メンターがずっと解説をすることになってしまいます。これでは読書会というよりも授業になってしまい、「学び合い」という読書会の本来の良さが失われてしまいます。ですから、メンターの知識レベルよりも、参加者の知識レベルを基準にして本を選ぶというのは基本的な鉄則だと言えるでしょう。

参加者の知識のばらつき

上記ではメンターがいる場合の読書会について考えてました。では、メンターが居ない場合に検討すべきことを概観していきましょう。

メンターがいない読書会が成功するにあたっては、参加者間の知識にばらつきが適度にあることが重要です。それは、同じ事柄に対する理解の深さの差だけではなく、どれくらい幅広い事柄を知っているか、ということも含みます。

もちろん、あまりに理解に差がある場合には読書会は上手く成立しなくなります。しかし、参加者の知識のレベルがまったく同じである場合もまた、読書会の議論は沈静化していってしまいます。1つの理由は、疑問が出てこなくなることにあります。参加者の知識に多少の差があると、異なる難しさ・異なる観点からの疑問が生じてきます。本文中の「分からなかった部分」を共有することは、議論の活性化に不可欠なことですが、こうした疑問は知識のばらつきがあるとより多様なものが生じてきやすくなるでしょう。

こうした疑問に答えることも有益です。質問を受けた他の参加者たちは、その質問に答え説明する過程で、自らの理解や知識を整理していくことができます。頭の中で漠然と考えているときは「分かったつもり」になっていたことが、言語化の過程で実は「分からない」と気づくことは少なくありません。こうした「質問する→答える」といった連鎖は読書会の活性化を促し、参加者全体の理解の水準を向上させてくれます。こうした疑問の連鎖を生じさせる上で、知識水準に適度な差があることは有益です。

加えて、参加者間で得意とする分野、詳しい知識に若干のばらつきがあると理想的です。たとえば、言語に関する分野であれば「現代英語の文法が得意」「日本語の文法が得意」「英語の歴史が得意」のように、隣接する近い関連分野の知識を持った人がいると、議論が活発になります。読書会は、自立的・自律的な学習者が学びの成果をシェアする場ですから、シェアするに足る(それぞれ別の)知識を持った人が集まっていると得るものの多い読書会になりやすいでしょう。もちろん、分野があまりに隔たっているとかえって理解を阻害することもあり得るので、何事も限度は必要です。

まとめ

今回は、読書会の参加者と本選びという観点から、読書会の発足・運営に関する問題を簡単に検討してきました。ここでの議論が、概略次のようにまとめられるでしょう。

<読書会の参加者・本の検討>
基本的には「参加者が1人で読んで7割程度理解できる本」を選ぶ。その上で、メンターの有無によって次のような検討を行う。
①メンターあり → やや難しめの本も可能。メンターを起点とした「論点共有形式」を部分的に取り入れることもできる。
②メンターなし → 参加者の間に理解の深さや知識の幅、得意な分野などに若干の違いがあると議論が活性化しやすい。

以上のように、円滑で活発な読書会を実現するには、参加者個々の特性や取り上げる本の難易度も問題になってきます。これらの点は、実際に読書会に参加する中で肌感覚で理解するほかない部分もありますが、1つの知識として頭の片隅に置いていてもいいのではないでしょうか。

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