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この子が生きる世界を平和にしたいと願う今日この頃

娘が生まれて5ヶ月以上が経った。

日々成長する姿に、いまこの瞬間を生きている感動を覚える。これ程濃い5ヶ月は今までになかったかもしれない。


たまたま先日鳥取で上野千鶴子さんの講演会に参加できた。
(学生時代社会学を学んでいた私は終始嬉しさと緊張を覚えていた…!東大の祝辞も涙が出たし。)

「仕事には仕事の楽しさや苦労、子育てには子育てのそれがある。そして、それらはどちらも代えがたいものなのだ。」
「子育てが楽しいなら、なぜそれを男の人にもさせてあげないの?」
「フェミニズムとは男みたいな女を作ることではない。男性も女性もその人がその人らしく(とくに弱者が弱者のまま)生きやすくすることだ」

本当にそのとおりだと思う。


子育ては楽しい。これは間違いない。

子育ては大変だ。それも間違いない。

妊娠・出産・育児のために、一度キャリアは止まる。
自分に使える時間は間違いなく減った。

出産する前は少し悔しかった。
仕事自体好きで楽しかったし、自分の力をもっと高めたいと思っていた。
それが止まってしまう、と。

子どもを通して気づけた。
妊娠・出産は本当にしんどかった。弱者になれた。
育児でしか得られない経験がある。世の中の見方が変わった。
この子が生きる100年先まで、この世界を平和で生きやすくしなければ。

お金を稼ぐだけが価値あることでは決してない。
子どもが生まれてきてくれて、「ただ存在するだけでありがたい」と感じるからこそ、そう思うことが出来た。

生産性がないと価値がないという最近の一部意見は本当に恐ろしいと思う。

私が子育ての経験をしている間に、仕事を通してそこでしか得られない経験をしている人もいるだろう。

育児サイコーってことを言いたいのではない。
子どもは授かりものだし、居ない人生もまたとても深い。
仕事も家庭もそれぞれに苦労、喜びがある。

その中でもがき、あがいて人生楽しみたいなって思う。


そういえば高校生の時の夢は「世界を平和にすること」だった。
ひと回り歳を重ねてまた同じ夢を持つことが出来た。
自分の身の回りの世界から少しずつ平和に出来るように、少しずつ考えたい。

娘の寝顔を見ながら、新米母はこんなことを思うのでした。