引っ越し
長らく引越しをしたくなかった。
それは、どうせ今年で辞めるかもしれないのだから、学校の近くに居を構えても無駄なだけだと思っていたからだ。
初任の私は、10月くらいまで本気でそのように考えていた。
ではなぜ、今回引っ越しを決意し、まだ見慣れない天井の下noteに書き綴っているかというと、実はこれも“辞める”ためだ。
初年度で辞めたところで、丸腰も丸腰で何もできないだろうというのが第一感情だった。
今できることは何だろう、次の“選択”のためには何が必要だろう。
できる限りのインプットとアウトプットをやって、実績を積むこと、社会人として基本的な素養や振る舞いができていること、これを蓄えることが何より大切なのではないかと思うようになった。
そしてこのためには、時間が必要だと気づいた。
そこで引っ越しだ。通勤の往復2時間を自己投資の時間に費やす。引っ越しは、次の“選択”のための手段だ。実際、昨夜は時間の多さを改めて実感した。
いよいよ準備ができた。
退勤後から寝るまでの時間が私にとってのドリームタイムだ。思い描いてた時間の使い方ができる。
しかし、実際にはなんだか疲れ果て、その時間を有意義に使えていないのが現状だ。
11月半ばからずっとこんな調子だ。
日中の意識はものすごく高いのに、日が沈むと意識も沈み、ベッドに沈むことが増えた。
これならまだ、早く辞めたいという一心で一心不乱に読書をしたり自己分析をしたりしていた時期のほうがよっぽどマシだ。
おそらく、色々なことに慣れ、少し先の未来を予見できるようになったことで、中弛みがきているのだと思う。
情けない。行動が伴わない意識高い系ほどダサいものはない。
意識の問題は、仕組みで解決しろとは言うが、仕組みが整った今なら、あとはもう意識の問題ではないか?
そして、前回綴ったようにハードルを下げることも重要だ。上手くできないというときは大抵ハードルが高いのだ。
つべこべ考えすぎやる、これに尽きるのだと思う。そして、夢を忘れずに真の目的を見失わないように。
週末は、なぜ辞めたいのかそれを書いてみよう。