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『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』

徐々に秋らしくなってきました。
今月のエンタメ-Labは「読書の秋」ということで、最近読んだおすすめの一冊を紹介したいと思います。

『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』 プレイディみかこ著
2019年6月21日に出版され、本屋大賞 ノンフィクション本大賞受賞を始め、多くの賞を受賞しました

さまざまな人種が住む学校で起こる、さまざまな問題

この本は母親である著者と、息子の日常を描いたある意味、ノンフィクション。元底辺中学校に通う中学生の”ぼく”と、パンクな母ちゃん。そして時々出てくる大型ダンプの運転手をやっている父。

ぼくは元底辺中学校に通うティーンエイジャー。
さまざまな人種が集まる学校は、まるで世界の縮図のよう。ジェンダー、貧困、差別などの問題が次々に起る日常。
そのたびに未熟なぼくは色々なことを疑問に思い、母ちゃんと話し合う。

ぼくは少しだけ成長し、最初はブルーだった色が、グリーンに変わっていくところでこの本は終わっている。

私たちが生きている世界は矛盾に満ちている

ぼくの考え方は、ある意味斬新で、逆転の発想だ。
昭和世代の私は「絶対にステレオタイプの人間にはなりたくない」と思い生きてきたが、この本を読むと「自分、そういう大人になっているじゃん」と突っ込みたくなる。

小さい頃から親に「弱い人には優しくしなさい」と言われて育ってきた。
でも弱い人ってどういう人? この数十年のモヤモヤした思いを、この本は少しだけ教えてくれる。

多様性? 問題を解決してくれる”魔法の言葉”?

この本にも出てくる「多様性」。
最近は政治家も、マスコミも山積する問題を解決してくれる”魔法の言葉”としてよく使うけれど、この本を読むと「果たして本当の意味を理解している人は何人いるのだろう」と思ってしまう。

この本では”多様性は物事をややこしくするし、喧嘩や衝突が絶えないもの”と言っている。
だから多様性なんて考え方はない方が楽だったりする。
それはそうだろう。シンプルな関係を、ただ複雑にするだけの多様性。
次から「多様性が~」と言う話をどこかで聞いたら、まずは「この人は、ただ新しい言葉を使って注目を集めだけではないのか?」と疑ってかからなければいけないと思う。

エンパシーは「自分で誰かの靴を履いてみること!」

とは言っても、私もザ・昭和の人間。
日本人が昔から大切にしている”義理と人情”、”おせっかい”はどんな時代になろうとも、日本人のアイデンティティとして継承していきたいと微力ながら思っている。

少し前、ワールドカップで日本人のサポーターたちが、試合終了後、ゴミを拾い世界から称賛された。その時は「日本人はすごいんだぞ」と誇らしくさえ思った。が、見方を変えればスタジアムには掃除をすることで仕事を得ている人もいるかもしれない。その人にとっては、仕事を奪われた!となるかもしれない。

この本で、ぼくが期末試験の問題で「エンパシーとは何か?」と問われて、「自分で誰かの靴を履いてみること」と答えている。
そうなのだ、いつも自分の靴ばかり履いていると、自分のことしかみえなくなる。
ちょっと相手の靴を履いて、同じ景色をみてみればいい。

まだ世界で羽ばたきたいから、無知にはなりたくない

その時、見えてくる景色が理解できなくてもいい。それは仕方ないこと。ただ色々な価値観があることをわかったふりするのではなく、近づく努力はしないといけない。

反対にその努力を怠ると、世界では「無知」と呼ばれてしまうこともあるから要注意だ。呼ばれ、そこに取り残されてしまうかもしれない。

もし私が80,90の老人ならそれでもいい。でも私はまだこの世で、この世界で羽ばたいてみたいと思っている。だから色々な人の靴を履かないといけない。

この本を読んだあと、「自分は無知ではないか?」と問いかけてみたが、「たぶん無知ではない」としか答えられなかった。
いつか自信をもって「イエス」と答えてみたい。


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