海辺のバレエ・スクール 3

 パヴロバ一家は横浜での地震の後上海に避難していた。
 被災した多くの外国人と同様にパヴロバ一家もアメリカかヨーロッパへ移住するつもりだった。
 イタリア行きの船を予約したのだが、その便で帰国せざるを得ないイタリアの役人のために突然キャンセルとなった。
 誇りを傷つけられたナタリアは、アメリカへ移住する決心をした。
 上海で知り合った芸術家が次々とアメリカへ希望を持って渡っていったこともある。
 一方日本からはエリアナに早く戻って欲しいと矢のような催促と同時に待ちきれずに上海まで迎えにも来るほどの熱意があった。
 日本では住む場所や仕事の手筈を整え、マネージャーを用意して待っているということだった。
 日本の熱心な生徒達に請われて、エリアナが一人だけ戻ることになった。
 ナタリアとナデジダはその後1年ぐらい上海暮らしを続けることになる。
 ナデジダは脚が大分良くなり、上海に居住していたロシア人のバレエ教室でレッスンが出来るまでになっていた。
 ナデジダの演技力と愛らしさは脚をカバーして余りあるほど評判だった。
しかし、バレエダンサーとしては片足が不自由なのは技術的にも役柄的にも制約があるのは明らかであった。

 当時アメリカへ移住したロシア貴族がメイドとかウエイトレスの仕事についているなどの噂に対して、日本は華族の身分制度があり、外国人であっても亡命貴族として理解されていた。
 日本人と日本の文化に安心と期待を持ったナタリアは迎えに来たエリアナとナデジダと3人日本行きの船に乗った。


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