自分を知る旅のはじまり②人生の振り返り
↑の続き。20年ちょっと前、まだ私が20代前半だった頃のお話し。
私は初めてカウンセリングを受けて、「私は愛されてはいけない」「生きていてはいけない」と思い込んでいたことを知って驚愕したのだけど。
週2回のペースでカウンセリングに通う中で、「なぜそう思うように至ったのか」を幼少期から振り返ることになった。私は3歳くらいから記憶があったので、その頃から振り返ることになる。
そして記憶にない生まれた頃のことも振り返った。私は先天性股関節脱臼で生まれたので、生後約1年間は腰から太ももまでギプスを装着していた。だから、他の赤ちゃんに比べて抱っこされる時間が少なく、座らされていることが多かった。そこに両親とのスキンシップの不足から、「愛されていない」と感じとっていた可能性を指摘された。
また、4つ年上の兄が大やけどを負ったのと、私の出生が同じ時期で、両親の愛を独占出来なかったことも関係しているかもしれない。
そして幼稚園に通っていた頃。両親が2人で話しているのを聞いた(両親は私が聞いていることは知らない)。子供は2人欲しいと思っていたという内容の話だった。母は、兄の前後に死産と流産を経験しており、私は順番的には4番目の子供だった。死産の子と流産の子が生まれていたとすれば、兄は2番目だったから、予定の2人に入るけれど、私は4番目だから予定外なんだ。「私はこの家に生まれてくるべき子供ではなかったんだ」となぜか強く心に刻んでしまった。決して愛されてなかったわけでもないし、大事にしてもらってきた。だけど、なぜだかそう思ってしまったんだ。
頑固な私は、強く強く心に刻んでしまった。
私はこの家にいてはいけない子なので、産まれて来れなかった子の為に生きなければいけない。私はその子の為に生きるんだ。だから、自分を出してはいけないんだ。と、本当になぜか強く感じていた。
カウンセリングを受ける中で、そう思っていた自分に初めて気付くことになった。
幼少期の私は、親に何か聞かれても、「どっちでも良い」「何でも良い」が口ぐせになっていた。兄は素直に「あれが欲しい」「これが欲しい」と言っていたけれど、それを聞いた私は「兄にお金を使うとお金がなくなるから、私は我慢しなければならない」と、これまた強く思って、いつも「私はいらない。何でもいい」を繰り返していた。今思うと、何て子供らしくない可愛くない子供だったのかと思う笑。
そして、お喋りだった私は、幼稚園や小学校での出来事を事細かく母親に喋っていたのだけど。小学校1年か2年の時、母が夕食を作っている時に、いつも通り「今日学校で起きたこと」について話していた。
すると、母親が「うるさい」と言ったんだ。多分、忙しかったのか、機嫌が悪かったのか何かだと思う。ただちょっと「うるさい」って言っただけなのに、私は「ああ、話してはいけないんだ」とまた心に深く刻んでしまい。「外の世界で起きたことは、話してはいけないんだ。迷惑がかかるんだ」と思い、それ以降、学校での話を口にしなくなり、家ではほとんど喋らない子供になった。
母から「今日はどんなことをしたの?」と聞かれても、「別に」「特に何もなかったよ」と、そっけなく答える私。ああ、思い返すだけで可愛くない子供だったわと思う笑。
いつも不貞腐れて、家ではブスーっと黙っていた私は、いつしか母親から「この子はブサイクね」と言われるようになっていった。「可愛い」と言われた記憶がない(実際はどうだかわからないけれど。記憶というものは、自分の都合で操作されるものだから笑)
そんな感じで、小学生時、中学生時、高校生時・・・・と、カウンセラーと共に、私の歴史が紐解かれていった。
両親が口ベタなこと、スキンシップが苦手なことと、私の頑固さと思い込みが強い性格と甘えられない性格が重なって、「私は愛されていない」「この世に生まれてはいけない存在だった」と思い込む私が出来上がっていったのだった。
(つづく)
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