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死んだように生きていた私

やりがいのある「看取り」という天職を見つけ、どんどんやりたいことを実践していくエネルギッシュな私。

20代の頃には、休みになると南国に行ってダイビング三昧や野生のイルカと泳いで真っ黒に日焼けして楽しみまくっていた私。

そんな私からは想像できないかもしれないけれど。

私はずっと「死んだように生きている」と感じていた。それがなぜだかずっとわからなかった。

休みの日、電池が切れたかのように全く動けなくなって。家の中でさえ歩くのがしんどいくらいになって。「ただ呼吸をしているだけ」「ただ時間が過ぎるのを待っているだけ」の自分に気付いたんだ。

「今を楽しむ」じゃなくて、「今の時間が通り過ぎるのを待つ」だけだった。

そう感じていた理由が、やっとわかったんだ。

私にとって「生きる」とは。

「自分の心で感じること」それが、「自分が生きてる」と感じることだったから。

やりがいのある仕事をしていた時は、「患者さんの感じる心」「関わるスタッフの感じる心」にフォーカスをして、共感性がものすごく高い私は、それを感じまくって、それによってエネルギッシュに動いていた。だけど、所詮それは人の心。

自分の心を感じることを忘れ、というか、怖いから見ないようにしていたんだ。

自分の心を感じることを忘れて動くと、そりゃあエネルギーが切れる。まるでボロ雑巾のようになってしまった自分を癒すために南国に出かけて海からエネルギーを貰っていた。だから、ダイビングをして楽しいというより、自分の心を感じるというより、枯渇したパワーを貰っていたというだけだった。

なので、やりがいのある仕事も楽しい南国での時間も、私にとって「生きること」ではなかった。だから、「死んだように生きている」と感じていたんだ。

ずっと「自分の心を感じる」ことに取り組んで。何十年も無視してきた自分の心との仲直りを始めて、少しずつ少しずつ感じることが出来るようになってきて。

こないだ草むしりをしながら、どんどん身体に元気が満たってきた時に、すごく自分自身を感じることが出来たんだ。

そしたら、「私、生きてる!!」「生きるって、こんな感覚なんだ!!」とうい初めての感覚を得たんだ。

「生きるって、こんなに楽しいことだったなんて、知らなかった!!」

私は「死にたい」とは思ってなかったけれど、「死後の世界よりも、この世界の方が大変な世界である」と思っていた。

でも今は、「この世界は楽しい所だよ」と思える。

やっと「自分を生きる」スタート地点にたった。

さて、私はどんな自分を生きていくのか。この地球で何をしていくのか。楽しみでならない。

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↑あ、すっぴんを晒してしまった・・・ま、ありのままの私ということで笑。「生きるのが楽しい私」photo by くろせんせ(黒川真)

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