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何かを始めることに遅いということはない。

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新年明けましておめでとうございます。旧年中にお世話になりました皆様、本当にありがとうございました。本年もどうぞ宜しくお願いします。

今年の年賀状は様々な意味と想いを込めてこちらのデザインにしました。今回はこちらの絵画の説明や今年の抱負などを書いていきたいと思います。

印象派はフランス美術界の反逆児?

モネ、ルノワール、セザンヌ、ゴーギャン、ゴッホ、皆さんも一度は聞いたことや見たことがあると思います。日本で一番人気の印象派の芸術家たちです。

今でこそ世界的に認められていますが、当時のフランス美術界において、彼らが美の概念を覆す反逆児だったと言われたら、少し驚きませんか?

印象派という言葉は、彼らを皮肉る呼び名だったんです。

「人物や物、そして風景の細部を描いておらず、実に中途半端で未完成な絵」これこそが印象派と呼ばれる所以なのです。

彼らはこれまでの美の概念に真っ向から挑んだ反逆児だったのです。

近代絵画の父「エドワール・マネ」

印象派の先駆者、それが近代絵画の父と言われるエドワール・マネ(1832-83)です。

マネは1863年に開催された落選展(サロンと呼ばれるフランス芸術界の天界一武道会みたいなイベントがあるんですが、そのサロンに落ちてしまった芸術家たちのための個展)で大スキャンダルを巻き起こします。

それが冒頭に出てきた絵画「草上の昼食」です。

アカデミー(王立の芸術学校・協会・芸術天界一武道会の主催)はマネを批判する一方で、若い新しい表現を模索する画家たちからは絶賛されました。彼らの中には後に印象派を牽引するモネやドガがいました。

マネはその時代の美の概念を根底から覆してしまった、いや、破壊してしまったのです。

当時、絵画の登場人物と言えば、社会的地位の高い貴族や神話に出てくるような女神や妖精だったのに対して、マネがモチーフとして選んだのは、なんと娼婦でした。

しかもあろうことか、ラファエロ(ダヴィンチ、ミケランジェロに並ぶルネサンスの三大巨匠の一人)など、過去の偉大な画家の作品を引用しています。

絵画は高貴で理想化された美しい世界を描くのが主流とした時代に、森で男性と情事を楽しむ不道徳な娼婦をテーマとして描いたのです。

当時のフランスでは、近代都市化する急激な高度成長を背景に貧富の格差が拡大し、娼婦となる女性もたちまち増えていました。

理想化された美しい世界を描くのではなく、社会が抱えた闇の部分をリアルに描くことで、フランスの現代性を世の中に提案しました。

しかしアカデミーは当然批判しますよね、過去の偉大な画家の顔に泥を塗り、アカデミーが規範とする美の概念を侮辱したのですから。

ちょっと脱線しますが・・・
「良い絵とはなんなのか?」という問いを常に持っておくとアートと対峙する上で一つの軸となります。「美しい絵」と「良い絵」は、似てるようで非なるものです。

さて、今までの流れを整理すると、

アカデミーにとって良い絵=理想化され技術的にも優れている美しい絵
若い画家にとって良い絵=これまでにない新しい概念を表現した絵

この作品の後に出品した「オランピア」も娼婦を題材としていますが、そちらも同じように激しいバッシングを受けることになります。

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マネは真面目に良い絵と思って出品したにも関わらず、バッシングを受け、深く傷ついてしまいます。

マネ亡き後、モネなどの印象派の画家たちは、諦めることなく自らの信念を突き通し続け、当時新興国であるアメリカを中心に、世界を席巻していきます。

マネが壊したもう一つのルール

マネは三次元で描くという常識もまた、ぶち破りました。どういうことかというと、本来絵画を現実に即して忠実に描こうと思ったら消失点を作り、絵画の中に三次元空間を表現します、当然ですよね。

しかしマネの絵画はしっかりとした三次元構造ではなく、平面的なレイヤー構造になっているのです。よく見るとわかるんですが、マネの絵は空間構造が曖昧です。つまりちゃんと描かいていない。現実の空間認識とは異なるので、鑑賞者は違和感を覚えてしまう絵画だったのです。この平面的な表現は浮世絵から取り入れたものだと言われています。

マネは絵のテーマでも表現技法でも、鮮やかにその時代の模範的価値基準を裏切ったのでした。

実にロックじゃないですか、マネさん。

この平面表現はのちに続く印象派の画家たちに受け継がれていきます。そして平面表現を真似するのではなく、「次元を解体する」という概念をセザンヌがさらに進化させ、かの有名なピカソは空間を解体し、再構築するキュビズムを生み出しました。

アートは難しい!!という声をよく聞きますが、難解になる理由はここにあるのです。表現が進化しすぎて、それまでの流れを理解せずに、パッと現代アートを見ても意味わからん!!ってなるのは当然ですよね。言語を理解せずに外国人と会話してるような感じでしょうか。

ただですね、わかっていくとこんなに楽しいものありませんし、アートの歴史を紐解くと、非常に勇気をもらえることがあります。

世の中に提案した新しい概念が、その時代のパラダイムと衝突した際、そのインパクトが大きければ大きいほど、後世に評価される可能性があるという示唆は非常に興味深いです。

アートの文脈を巡る旅は歴史・地政学・宗教・哲学と多岐に渡ります。そして知れば知るほど、得た情報が結びつき、多層的な理解と気づきに繋がります。その繋がる感覚は深い充足感もたらし、同時に生きるためのヒントになったりします。

愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。 -オットー・フォン・ビスマルク-

今年の年賀状について

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さて、ここまで長くなりましたが、盲目に日々を過ごすのではなく、現状を常に疑いながら、マネのように自分の感覚を通して世界と対峙し、新しい概念や表現を思い切ってしていこうという想いを込めてマネを選びました。

同時にメッセージも記載しました。

The fog is getting dense day by day. People will see only what they want to to see. Suspect past common sense. Create new paradigm. Open the new door. Never too late to start things. You are always at the entrance.
ー毎日霧は濃くなっていく。人は見たいものしか見ない。過去の常識を疑おう。新しい概念を作ろう。新しい扉を開けよう。何かを始めることに遅いということはない。いつでも君の前にはドアがある。ー

新しいドアを開けるか開けないかは自分次第、開けよう開けようと思っているうちに、開けずじまい、そしてまた新しいドアの前で、失敗したらどうしようとか、合ってるんかこれ?とか、あれこれ考え止まってしまう、そんな場面が昨年は何度もありました。

屋号をENTRANCEとして普段仕事をしているのですが、そこには誰かの新しい扉を開くきっかけを作りたいという意味を込めています。

その自分が足踏みしてるなんてアカンやろということで、今年は「新しい扉を自ら開く・人に新たな扉を開かせる」そんな一年にしたいと思います。

年を経ていくと、何かを始めるときに今更始めてもなぁ・・・と思うことが多々あります。しかしながら今始めること、そしてそれを続けていくことでしか未来は変わっていかないので、まずはやってみるというということを自分に言い聞かせたいです。特に慎重派の私には。

周りも見回しても、結果を出している人の共通項は毎日コツコツ勉強・成長している人です。ただね、変化を起こし続けることは難しい、人には恒常性維持(ホメオスタシス)という変化を避ける本能があるので、ドアを開けない、続けられないという行動は非常に人間らしい。

水は低きに流れ、人は易きに流れる。  -孟子-

楽なほうに流れるようになってるんですよ。じゃ、なんで彼らはコツコツできるのか?意思が強いから?そうではなくて、あれは完全に技術です。

時間は誰に対しても平等なので、継続が作る価値と命の有限性を意識して、今を大切に生きましょうということで、長くなりましたが、この文章が誰かの扉を開ける鍵になったら幸いです。

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