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煙草の話と、洒水の滝で飲んだ珈琲が美味しかった件

「本木さんって煙草吸わないの?」
と、友人が言った。
日帰り旅行で足柄に向かっていたときに車内で投げかけられた何気ない一言だった。

私は子供の頃に喘息だったため、そもそも煙草は吸えないのだが、唯一人生で煙草を吸った日が1日だけある。
それは、友人が自殺したあとに行われた葬式でのことだった。

まだ私が23か24の頃、深夜のコンビニバイトをしながら役者活動に精を出していた時期である。
週に2、3回遊ぶ仲で、俺はそいつから麻雀とオートレースを教わった。
お返しに、俺はそいつにパチンコを教えてやった。

その頃のパチンコと言えばエヴァンゲリオンが覇権を握っていた。あいつはエヴァンゲリオンが大好きで、新劇場版がたしか『破』以降新作が一向に出なくて、俺が生きている間に完結するのかなあとか呑み屋で俺に愚痴っていた。
結局は完結する前に死んだので、あいつはシンエヴァでアスカが可愛かったことも、東京でオリンピックが開かれたことも、コロナウイルスが流行したことも、安倍総理が殺害されたことも、藤井聡太が将棋で天下を取ることも、平成が令和になったことも知らない。

あいつが死んだときに、服の中に『さくら』とかいうコンビニで見たことない謎の煙草と、俺が教えたパチ屋の景品で並んでいるエヴァのライターが入っていた。
俺達は葬儀場で遺品を眺めながら、誰からともなくその煙草とライターを喫煙所に持っていき、みんなで一本ずつ吸うことにした。
線香の代わりのつもりであった。

ゲホゲホしながら吸っている俺のことを見て、「それはフカシって言うんだよ、吸ってるって言わねぇぞ」などと文句を言われる。なんとも格好悪い。みんな無言で気まずい雰囲気の中、「あいつも火葬したら煙になっちゃったなあ。煙草と同じじゃん。あいつ最後に自分が好きだった煙草になれたじゃん」などと、わけのわからないジョークを言い出す始末である。
これが、私の最初で最後の煙草だった。

あいつが自殺した日、たぶん首を吊る直前に送られてきたであろう「いままでありがとう」というメール。深夜だったので俺は寝ていた。その頃はガラケーだった気がする。

遺書には俺の名前が書かれていて、なぜか1万円くらい同封されていた。
2週間後、そいつと一緒に成田ゆめ牧場に遊びに行く予定だったのだ。
そのためのお金を私に残していたのだ。馬鹿すぎる。

あいつはとにかく頭が良く、俺なんかには理解できない行動が多かった。だが私は自分よりも頭の良い人間が好きなのである。意外と、あいつとは相性が良かった。

そんな彼が「生きていてもつまらない」と言い始めた。その度に一緒に呑みに行き、愚痴を聞いてやる。そんな日々が続いた。

だが、私も若かった。
その頃の私は自分が生きるだけで精一杯で、ミュージカルの出演も控えていたせいか、少し対応が雑になっていた。

最初の頃は「生きてりゃなんか良いことあるだろ、一緒に頑張ろうぜ」などとテンプレな発言をしていたが、自分でもそれが嘘だということに気づき始めていた。
なぜなら、俺自信がそんなに生きていても楽しくなかったからである。

疲れていた俺はついに、「そんなに死にたいなら止めないよ。痛いから死なないだけで、俺も安楽死できるならしたいよ」といった発言をした。正確には覚えてないが、まあそういった内容である。

一度そういった発言をすると、それ以降の呑み会でも同じようになる。
「お前が死んだらお前のことブログにでも書くわ」などと軽く冗談を言い、あいつは「おう頼むぜ、俺は世話になったからお前の名前を遺書に書いてやるからな」と返される。
まさか本当に遺書に名前が書かれているとは思わなかった。

そいつは中島みゆきが大好きで、CDを集めていた。そのCDを全部お前にやると言われていた。
俺はいらないと断ったが、あいつが大好きだった中島みゆきを手放そうとした時点で気づけたのかもしれない。私はとっくに感覚が麻痺していたのである。
いままでずっと我慢していたのに、葬式で中島みゆきの『銀の龍の背に乗って』が流れたときに、笑いながら大号泣してしまった。
恥ずかしながら、このnoteを書いている今も、その時のことを思い出してしまって涙が止まらない状況である。十年以上経っているのだが、まだまだ根が深いようである。

「本木さんって煙草吸わないの?」

そう言われた私は、お盆の過ぎた今になって、死んだあいつとの思い出話をたくさんした。
笑い話として、時々あいつのことを思い出してやることがあいつに対する手向けになると思っているからである。

なにかの映画で、「死ぬことよりも忘れられることの方が怖い」といったセリフを聞いたことがある。
残念ながら、時が経ってもあいつのことは嫌でも忘れられないし忘れるつもりもないのだけど、それで結果的にあいつが少しでも救われるのであれば、それには意味があるのかもしれない。だけど、救われているのはきっと私の方なのである。

足柄にある洒水の滝に到着した私達は、近くの喫茶店に入り珈琲を頼んだ。
この珈琲は名水にも選ばれている洒水の滝の湧水からつくられている一品である。
いままで飲んだ珈琲の中でお世辞抜きで一番美味しかった。ホテルのラウンジで飲む1杯1000円の珈琲なんかよりも、洒水の滝を眺めながら飲む500円の珈琲の方がよっぽど美味しかったのである。

店長さんに聞いたところ、なんと蕎麦つゆも湧水でつくられているらしい。蕎麦つゆまで飲み干してしまった。

惰性で死んだような人生を生きる私達だが、ときには立ち止まってゆっくりと昔を懐かしみながら珈琲を飲む時間があっても許されるのではないだろうか。

しかし、そんな私の考えを一蹴するがごとく、ソフトクリームは真夏の外ではあっという間に溶けていくのである。道の駅で買ったソフトクリームは、まだ20秒も経っていないのにポタポタと地面に落ちていく。

まるでそれは、過去に囚われている自分を嘲笑うかのように。
嫌でも私達は前に進まなければならないのだなあと、ドロドロに溶けた抹茶ソフトを口いっぱいに頬張りながら、家路をたどった。

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