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当たり前の中にある不確かさ

今日、部屋にいて妙に
アイスクリームを食べたくなり
スーパーに行くには着替えてなどの
手間があるのでパスして

ジャージのまま行ける近くの
コンビニに出かけた。

コンビニでなって割高ですが
着替える手間や、距離などの
「時間」と「お金」を天秤にかけた時
1つのアイスクリームを買うのみであれば
私は「時間」を取る。

つまり、スーパーよりも割高でも
時間を選ぶと言うことです。

と頭の中で自分の「もったない君」に
言い訳して最短距離のコンビニへ

って!?
店のガラス扉に小学生?かと見間違うような
文字で張り紙がされている。

「人員不足のため、午後5時より
 営業します。」

店の灯りはついたままで
ガラスの扉に鍵だけかけてあった。

こんな事はこれまで初めての経験だった。
辺り前のように、部屋に替えれば
未意識に灯りをつけるように

あれ欲しいから買お、
で行くコンビ二。

日常的な事が
張り紙一枚で
非日常的になってしまう。

仕方なく、別のコンビニに2倍以上の距離を
歩いてアイスクリームを買いに行く。
(スーパーにここで行くと言うのは
 なんだか悔しい、という子供脳が働くので)

でも、遠くまで来たので
アイスクリーム1つ買って帰るのもなぁ~
といらんものをついで買いしてしまい
スーパーに行くより断然割高になり、
尚且つ、スーパー行くより遠い距離歩いた。

で、コンビニでは
プライベートブランドの限定スイーツを
ついで買いして
「これはスーパーにはないから~
 の言い訳をモッタイナイ君に
しながら帰宅することになってしまった。

近頃の物の値上がりは
原料不足(これは某国の争いなど色々の理由)に
加えて送料費の上昇などもあってのことと言うけれど

考えてみれば、私たちは
これまでも、これからも余程でなければ
当たり前の日常のように暮らし
当たり前の無意識で生きていても

私たちの関係ない、目に見えない混乱の中で
生じた問題がめぐりめぐって私たちの生活を
脅かしている。

それこそ
当たり前の日常に、脈略なくやってくる
不便さや不快さが

当たり前という不確かさを
私たちに体感させる。

って、コンビニの張り紙一枚で
何書いてんだかね。

カイでした。

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