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おかあさんの唄

私は映画「おおかみこどもの雨と雪」が大好きで、映画の最後に流れる「おかあさんの唄」が大好きである。


初めて聴いたときは、ただただ「いい歌」なだけだった。それが、最近になって改めて聴いたら、涙が止まらなかった。私自身が出産と子育てを経験したからだと思う。歌詞も、ピアノのメロディーも、歌声もいい。全部いい。



まだ見ぬあなた 逢えますように
お腹をさすり いつも願った

冒頭は、妊娠しているときの様子を歌っている。子どもの誕生を楽しみにしている母親像がまず、美しい。


大きな瞳 わたしを映す
なみだの粒が ほほにはじける
まんま まんま おいで ごはんできたよ
たたた たたた おいで さんぽいこうよ

赤ちゃんが産まれる。笑ったり泣いたり、ご飯食べたりお散歩したり。健やかに育っていく姿が、愛しくてたまらない。その様子が手にとるように分かる。


泣きはらした目で 膝を抱える
訳を聞かせて すべて話して
だいじょうぶ どこへも行かないよ
なにがあっても いっしょにいるよ

子どもが幼稚園なり、学校なり、社会に出て行くと、あれこれ心配になる。友達とうまくやっているのか。悩んでいるのか。いつでも寄り添っていたいと願う。


してあげられること もう 何もないのかしら

このフレーズが胸にぐっとくる。子どもが成人して、親元を離れるときの心境だろう。


いつかあなたが旅立つときは
きっと笑って見送ってあげる
ううう ううう でもちょっと 寂しい
うおおん うおおん お願い しっかり生きて

子離れするときを想像したら、ますます涙がとまらなくなった。映画の中でも、狼少年の雨が、人間であることを捨て、狼として生きることを決断したシーンがある。このときの花(母)の氣持ちをそのまま歌っているのだ。


私は自分自身に重ねて歌を聴いた。自分が就職先に内定し、アパートを借りて一人暮らしを始めたときのことだ。あらゆる荷物を引っ越しトラックに積んで出て行ったはずが、自転車だけ実家に置き忘れてしまった。それを見た母が、元子を思い出して事あるごとに泣いていたと、後になって姉から聞いた。母は、末っ子の私が巣立ったことが、とても寂しかったのだ。もっと一緒にいたかったのだ。引っ越しの日程をもっと先延ばしにしろとか、せめて大学の卒業式までは実家にいろとか、ことあるごとに引き留めてきた。なのに、まったく聞く耳を持たなかった。

あのときの私は希望に満ち溢れていたし、母の氣持ちなんか分からなかったのだ。すぐに一人暮らしを始めたいと言って、母の意見を全てはね付けた。仕事を頑張りたい、買い物も料理も洗濯も自分でやってみたい、自分の裁量で何でもやってみたいと張り切っていた。田舎とは違う、都会の暮らしに憧れていた。今なら、母の氣持ちが分かる。

少しだけ覚えた歌詞を口ずさんだだけで、泣けてきた。何度リピートしても、その都度泣けた。ティッシュで鼻をかみながら、ダイニングで洗濯物を畳んでいたら、リビングで遊んでいた我が子がやってきた。手には紙飛行機を握っている。そして、私の顔を不思議そうに覗き込んだ。


まま。なんでお鼻が赤いの?

いい歌を聴いていたから、涙が出てきたんだよ。

ふうん。いい歌を聴いて、涙、出るの?

うん、そうだよ。子どもが大きくなってママから離れていくときの歌だよ。

まま、綺麗だよ。赤いの、綺麗だよ。

え?ありがとう。

まま、大きくなっても、一緒にいて。ままよりも大きくなっても、ずっといて。

うん。結婚するまで一緒にいるよ。

みんなで結婚しよう。ままと、ぱぱと結婚する。一緒にいてね。


涙がどっと溢れて出てきて子を抱きしめた。紙飛行機が床に落ちた。子は顔をくしゃくしゃにして、キャッキャと笑い、喜ぶ。

この子が巣立つとき、私はまたこの歌を聴こう。