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どれだけ漢字書けるかな02

6時前に目が覚めて、昨日の漢字読み書きの続きをやろうと、寝室を出る。出た瞬間に我が子が飛び起きて、激しく泣き出した。やれやれ、仕方ないので本と筆記用具だけ持ってきて寝室に戻る。子は私の腕を掴んで再び眠りに戻る。

うつぶせの体勢のまま、漢字書き取りをする。こうやって子に付き合って同じ姿勢で居続けるせいで体にガタがくる、というのは、子育てあるあるではなかろうか。

それでも、布団の上なので安易に間違って消しゴムを使い、消し屑をばら撒くわけにもいかない。集中して書き込んでいく。

朝は、脳が一番活性化している時間帯である。それも、鳥も寝てるような夜明け頃が一番いい。私に言わせれば、午後の10倍は記憶の吸収率が高いと思う。午後は昼寝とおやつの時間だ。

昨日と違って、脳が漢字に慣れている。考えることに慣れている。たとえば頭の中で「冒頭」という字を思い出す時、日に目、豆に頁(ページ)、などと部首ごとに組み立てていくプロセスが速くなる。これは明らかに昨日、しんどい思いをして取り組んだ成果だ。

漢字を書けるようになったところで何になる、と失笑をされるだろう。だけど、思い出してほしい。DS(ディープステート)は、闇の支配者どもは、庶民が今よりもどんどん愚者になることを望んでいる。テレビの報道を鵜呑みにして、当然のようにマスクとアルコール消毒をして、毒薬をワクチンと呼ぶことを受け入れ、進んで打ちに行く。これを愚者と言わずに何と呼ぶ。洗脳に気づけない、思考停止した人間から死んでいく。

マスターキートン(浦沢直樹作)という漫画でこんなシーンがあった。「この空襲でめげたら、それこそドイツ軍の思う壺です。今こそ我々は学ばなければなりません」というシーン。第一次世界大戦中、イギリスの大学、建物の外ではドイツ空軍がイギリスの街を空襲、砲撃している。その最中に、教壇に立つ教師の発言だ。きっと第二次世界大戦中も、DSの存在に気づいていた日本人は、同じ思いだったのではと想像する。

別に漢字でなくてもいい。物理でも歴史でもいい。料理でも裁縫でも武道でもいいし、逆上がりでもエアギターでもいい。何かを勉強して思考すること。思考する力を継続すること。実践すること。

義務教育が終わったらそれで終わりではない。時には休みながらも、死ぬまで思考し続けることが人生を豊かにする。危機的状況において処世術の引き出しをふやすことはもちろん、知的好奇心を満たし、体得していくこと、自分のものにしていくこと、これは人間が人間である所以だと思う。

「嫌な世の中だ」などとボヤいている暇はない。どうせ暇なら、今の世の中を笑いとばせる努力を積み重ねたほうが、よほど生産的だ。人間は、考える葦なのだから。


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今日もまた、いい例文を見つけた。「権力者にフクジュウすることをこばむ」