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昭和30、40年代の上原清吉の弟子たち

取手は大筑が伝えたのか」の記事で、大筑傳うふちくでん古武術宗家の伊佐海舟いさかいしゅう先生は、以前上原清吉に師事していたと述べたが、昭和30、40年代にはほかにも後にそれぞれの流派や組織の長となる方たちが上原先生のところへ学びに来ていた。

たとえば、琉手りゅうて親田清勇おやたせいゆう、正道館の當真嗣安とうましあん、少林流拳真館の喜瀬富盛きせふせいといった先生方である。

左から:伊佐海舟、親田清勇、當真嗣安、喜瀬富盛

上記の先生方は大筑傳古武術、沖縄拳法、少林流松村正統といった流派の出身で、それぞれの師匠が沖縄古武道協会(のち全沖縄空手古武道連合会)に所属されていた関係で、上原先生のところにも習いにくるようになった。

冒頭写真:全沖縄空手古武道連合会の集合写真、昭和42年。

その後、各先生は各々の組織を立ち上げてその長に就任されたので、本部御殿手からは離れた。そして、中には上原先生に師事した経歴を公には語らなくなった方もいた。

どうしてそうなったのかについて、いろいろな理由がある。一つ大きいのは、上原先生は本部御殿手を教えるにあたって、「これは秘伝武術であるから、許可なく教授したり公開したりしないように」と釘を刺していたことである。

しかし、現実的な問題としてせっかく教わった貴重な技を自分たちの弟子に教えないというのは難しい。それで上原先生から習ったとは言いにくかったのである。実際、無断で教授して上原先生に抗議された方もいた。

そういうこともあって、取手(トゥイティー)も、トゥイテとかトゥイディーとか、カラミディーとか急所術とか、いろいろな名称で教えられるようになった。

またそれぞれの先生には元の流派というバックボーンがあるので、それと融合させたり、新たに取手を自らアレンジして教えたりした。

取手だけでなく、棒術等も各先生は上原先生に師事された。そういえば、以前、アメリカのリャン・パーカー先生が大筑傳古武術、琉手、本部御殿手の棒術が似ていると比較する記事を書かれていた。

なかなか鋭い考察だが、似ているのは当然で、伊佐先生も親田先生も上原先生に棒術を学ばれたのである。しかし、この事実も公にはされていない。

さて、このような事情もあって、各先生方は上原先生に学んだと言えず、代わりにほかの先生に学んだことにしたり、自ら編み出したことにしたりするようになった。なかには架空の人物ではないかと思われる武術家に学んだことになっている場合もある。

そうなると、沖縄の武術の伝系が誤解され混乱してしまう。いまはまだ各先生方の初期弟子の間では、上原先生との関係が知られている場合もあるが、次の世代、その次の世代となるごとに、この事実は忘れさられるであろう。

そして、逆に関係が誤解されて、本部朝勇が金城大筑に師事したとか、二人は親戚だったとかいうような説も出てきて、まったく「あべこべの説」が広まる恐れもあるのである。


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