見出し画像

大東流と沖縄武術の共通点

『日本武道全集」第5巻(人物往来社、1966年)に、大東流合気柔術の特色を述べた以下の一文がある。

この大東流は、無心すなわち「構えがない」・「型がない」・「発声がない」ことが、その特色の第一にあげられ、……

505頁。

上記によると、大東流の特色の第一は「無心」である。そして、その無心とは、「構えがない」、「型がない」、「発声がない」ことである。

大東流に形(型)がないという主張には疑問を抱かれる方もいると思う。大東流には公称で2884手の形がある。この総数の真偽は不明だが――少なくともこの数の技を伝授された人物は確認されていない――武田惣角から免許皆伝を授与された久琢磨によると、基本技で約600はあるという(注1)。

もっとも久氏によると、武田氏が実際に伝授した技は伝書通りではなかった。また、佐川幸義によると、武田氏自身が「伝書とか巻物なんていい加減なことを書いている」と言っていた。

つまり、武田惣角にとって、形とは金科玉条のごとく、絶対にその通りに教授しなければならないものではなかった。むしろ、彼はその都度アレンジを加えて、アットランダムに技を教える傾向にあった。その意味では、大東流には形はないと言えるのかもしれない。

「構えがない」、「発声がない」というのは、下の柳生心眼流の動画と見比べればよく分かると思う。

動画を見ると、柳生心眼流では下腹部に両手を重ねる構えをなし、技を行使する際には、「エイ」とか「ヨッ」という掛け声をしているのがわかる。また立膝に片手礼の仕方にも独自の様式を感じる。

嘉納治五郎が学んだことで知られる天神真楊流柔術では、最初の段階である手解(12手)では掛け声は必要ないが、次の初段居捕の「真之位」の形より、必ず掛け声を発しなければならない(注2)。

天神真楊流柔術の「真之位」

しかし、大東流には特定の構えや、掛け声や気合を発する決まりはない。こうした大東流の特色はほかの古流柔術と比較すると異質であるが、沖縄の空手や取手と比較すると、むしろ似ているといえる。

空手には明治年間まで柔術の相対形に相当する約束組手は存在しなかった。また技を掛ける際に、掛け声や気合を発する決まりもない。型の競技で発する気合も昭和の頃はまだ一般的ではなかった。

空手の約束組手の構えも、「組手の構え」で述べたように、糸洲安恒の門下でも統一された決まりはない。

本部朝基の本部拳法には夫婦手がある。しかし、厳密にいうと、夫婦手は諸手連動の原理であって、必ずこう構えなければいけないという決まりはない。

上の写真は両者いずれも夫婦手の構えをしているが、いずれの形(かたち)をしても諸手を添えていればいいのである。

このように見てみると、大東流は日本のほかの古流柔術よりも、沖縄の空手や取手と特色が似ていると言えるのである。

注1 どう出版編集部『改訂版 武田惣角と大東流合気柔術』どう出版、193頁参照。
注2 吉田千春、磯又右衛門『天神真楊流柔術極意教授図解』井口松之助、明26(1893)年、51頁参照。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?