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沖縄の五十四歩の伝系

以前から気になっていて折に触れて調べてきたことがある。それは沖縄における五十四歩ごじゅうしほの伝系の問題である。五十四歩は本土では糸東流や松濤館にあるので、それなりによく普及している型といえるかもしれない。しかし、沖縄ではそうではない、―――あるいはそうではなかった。

もう十数年前になるが、『月刊空手道』に名嘉真朝増の弟子の仲村安吉氏のインタビューが掲載されていた。その中に五十四歩に関する言及があった。

――五十四歩の話についてお聞かせ願いますか?
仲村 戦後、名嘉真先生しか、五十四歩を持っていなかった。他に誰も持ってなかった。それは見事な五十四歩でね。先生の演武はとても見事だった。みんなが先生の五十四歩を欲しがってた。でも、難しくてできない。
 そのうち偽者が出てきてね。でも、やっぱり違うさ。わしは先生から習ってね。やっていいよ、ということで先生とわし2人だけで演武しよった。なかなか受け取りにくい型でね。先生が亡くなった後は、みんな五十四歩やり始めた。どこから持ってきたのか? わしには分かりません(1)。

沖縄では戦後名嘉真先生しか五十四歩を知らなかったという話は筆者もこの記事が出る以前に聞いたことがある。知花朝信は五十四歩を教えていなかったので、戦後沖縄で五十四歩を知っている人は少なかった。

ただこれと矛盾した話も存在する。小林流の石川清徳氏の以下の発言である。

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